全力疾走と午前4時

進行性の神経難病になり8年目くらいだったはず。先祖の戸籍を取ったり、気になる土地の歴史を調べています。

汚い心

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よくわからないコメントがきた。
その人から見たら、よくわからないのは私の方かもしれないけど。

自傷のことを書いた記事についたコメントなんですがね。

『心配してもらいたいとかふざけて自傷してるなら、許しません』
と書いてありました。

私には自傷に至った理由があり、当然心配してもらいたいなんていう理由でもないです。

たまた飲んだ薬で薬疹が出てしまった。
けれど病院には行きたくない。
日々進行し、身体が不自由になっていくこの難病を医者は治せない。
でも薬疹は皮膚科に行けば簡単に治るでしょう。
それは受け入れ難いことです。
治るどころか、自分のこともまともにできなくなった私が、この薬疹を治すのか?
自分自身への裏切りのような気がして、治すことを拒否したわけです。
障害者等級もどんどん上がり、介護保険も要介護認定をもらっている。
これから先も進行が止まることがない。
それを何年もかかって受け入れているところなのに、薬疹を治すだなんて、そんなことはできません。

本当に心の持ち方が分からない、どうしたらいいんでしょう。
本当に困っていることは治してくれないけど、どうでもいいものは治してくれる医療。
生きている限り苦しみ続けるんでしょう。

そういう医療への怒りとして、この薬疹治してなるものか!
死ぬ日まで何十年でも血を出し続けますぜ!
という状況が数年続き、『あっ、これって自傷じゃね?』と気づいたわけです。


許しませんとコメントくれた人は、自分のことを身体障害者だと書いていました。

他人と自分を比べたところで、全く意味はないとわかっている。
でも一般的な障害者と聞くと、羨ましく思ってしまいます。
どんなに障害が重くても、その状態で生きていく方法を見つけ、慣れていくことができる。
私達の病気は不自由さが増し続け、対応方法も常に変化していく。
今年使えた方法は来年には役に立ちません。
落ち着いたり、慣れるなんてことはありません。

受傷直後なんて言葉があるけれど、進行性の神経難病患者は死ぬまで受傷中です。


病気や怪我で健康な身体を失った方やご家族が目にしたら、とても腹の立つことを書いてしまったと思います。


でも、私はこんな汚いことも考えています。
何年か前に頸髄損傷の友人が脊髄損傷の人のことを『あの人達は障害者じゃない、障害者スポーツとかできるじゃん。』と言っているのを聞きました。
そうか、全てを受け入れ達観したように見える人でもそう思うことがあるのかと、私の心の中の汚い心も認めてあげようと、そう思いました。


この難病を得て知ったことは、自分にも差別する心や汚い心があること。
今日もらったコメントに腹が立ち、汚いモノがみるみる溢れてきて、自分の心の中を舐めるように確認する時間になったことはよかったのか。