全力疾走と午前4時

進行性の神経難病になり8年目くらいだったはず。先祖の戸籍を取ったり、気になる土地の歴史を調べています。

他人の手を借りること

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今年ももうじき、指定難病医療証の更新がやってくる。
今年は全てを自分でやるのは無理でしょうねぇ、さすがに。
2015年12月に診断されたんだから、『中堅患者』でしょうか。


自分のことは自分でやる。
小さな頃からそう思って生きてきたから、自分のことを他人にやってもらうことの難しさよ。
とても抵抗がある。


2016年に指定難病の手続きをした時から、基本的には自分でやってきたつもりです。
部分的には夫も手伝ってくれていたかな。
役所まで連れて行ってくれたりとか。
段々と夫に手伝ってもらうことが増えてきたのは認めます。
しょうがない、そういう病気だ。


でも今年は大体を夫にやってもらうことになりそうです。
もう、次回の通院日が7月と決まっているので、更新の書類を病院に持って行くのは夫にやってもらうことになるでしょう。
多分、更新のお知らせが届くのは5月か6月だろうから。


いつまでも自分でやりたいと思っていた。
夫にやってもらうなんて、したくないし受け入れられない。
他のあらゆること、全部自分でやりたい。
自分でできなくなる現実は絶対に受け入れたくなかった。


生まれたとき、自分でできることはなく、全て親がやってくれた。
ひとりで立ち、歩き、食べ、トイレに行き、お尻も自分で拭けるようになった。
その状態が何十年も続いて、個人差はあるけれど、また他人の手を借りなければ生きられないところに行き着く。


本当に個人差がある。
私は少し早かっただけか。
他人の手を借りることは難しい。
何でも自分でできた時期ってのは、アレだ。
世を忍ぶ仮の姿だったんじゃないか。😁
世を忍ぶ必要はないか。
人生の終わり頃にやってくる、『他人の手を借りる』ことのハードルを上げる為に、何でもできる時期があったんじゃないか。


他人の手を借りるって本当に難易度が高い。
これを長年やっている人、素晴らしい。
人間が練れていって当然だよな。
こんなことで練れてもなぁ、と思うけどこれが人生、生きるってことじゃかいかと。
人生はどのステージでも苦しいことがあるんだなぁ。


他人の手を借りなきゃ生きられなくなった時、感謝を知るし謙虚にもなる。

『実ほど頭を垂れる稲穂かな』

親が私につけた名前の由来だ。
50歳を間近に控えて、これが私の人生のテーマだったんじゃね?と思ってます。