全力疾走と午前4時

進行性の神経難病になり8年目くらいだったはず。先祖の戸籍を取ったり、気になる土地の歴史を調べています。

人生の残り時間を思い切り楽しみたい

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ブログに書いたことがあったかなぁ?
趣味の先祖調査で知り合った方が亡くなりました。


明治時代に私の曽祖父のいとこがハワイに渡ったことは、このブログに書いたような。
その子孫がハワイやアメリカに沢山います。
そのうちの一人が日本で生まれ育った女性と結婚しました。
私にとっては、遠い親戚の奥さんということになります。
その女性、チカさんが亡くなったのです。
ちょうど80歳を過ぎたところでした。



私とチカさんが出会ったのは2021年の夏のことでした。
チカさんは息子さんを亡くした直後でした。
コロナの真っ最中で誰にも会えず、会えたとしても息子さんの話題に触れないわけにもいかない。
チカさんはとても辛い状態にいました。


そんなところに完全に初めましての私が現れたんです。おまけに日本人!
ハワイの誰とも繋がっていない、何を話しても安全。
そんな私にチカさんは沢山のことを話してくれました。
初めてLINE通話をした時、気づいたら1時間以上も話し、『明日もお話ししたい』と言われ翌日も話すことを約束しました。
翌日も通話の最後に『明日も話したい』と言われ、3日連続でLINE通話をしました。
その後もほんとによく話したなぁ。


チカさん夫婦は以前1年の半分を日本で過ごしていたそうですが、コロナ禍でそれができなくなっていました。
生きている間に日本に行くことは諦めていたのに、コロナの状況が良くなったからでしょう、3年振りに日本に来ることになりました。


日本行きが決まって、チカさんは本当に嬉しそうでした。
去年の10月、彼女は生まれ故郷の土をご主人と踏むことができました。
久し振りの日本にはしゃぐチカさんとLINE通話したのが最後になりました。
その後いくらLINE通話で呼び出しても彼女に通じなくなりました。
詳しいことはわからないけど、あの後日本で亡くなったと聞きました。


ハワイを拓いた日本人

ハワイを拓いた日本人

  • 作者:中込眞澄
  • 出版社:幻冬舎メディアコンサルティング
  • 発売日: 2016年03月




わぁ、とても沢山書いてしまった。
こんなに文字数いっぱいブログに書いたのは久し振り。


私がチカさんと出会い、話した期間は13ヶ月でした。
80年生きた彼女の、最後の13ヶ月でした。
LINE履歴を振り返ると、いつも私とのやり取りを喜んでくれたチカさんを思い出します。
『あなたの方が若いのに、まるで私のお姉さんみたい』とよく言ってたなぁ。
可憐な少女みたいな人でした。

亡くなってみると、どの日付も亡くなる数ヶ月前なんです、当たり前だけど。
特に彼女が日本に来てからのやり取りは、死の1ヶ月前とかになるわけです。
夫婦で楽しく、久し振りの日本を満喫していたはずなのに。

この数日とても寂しいです。
チカさんのことばかり考えます。
そして人間は自分が死ぬ日に確実に近づいているんだと再認識しました。
生きられる日数が、毎日減っていくんだなぁと。
『今日』は貴重な一日なんだと、改めて考えることができました。
直接会ったことは一度もないけれど、お互いに一番いいタイミングで出会えたと思っています。
チカさんには大きな声で『またねー!』と叫びたいです。
ありがとう❤️