全力疾走と午前4時

進行性の神経難病になり8年目くらいだったはず。先祖の戸籍を取ったり、気になる土地の歴史を調べています。

難病患者なんだと自覚したのは、診断がついてから3年後

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そして昨晩の続きです。

 

脊髄小脳変性症の診断を受けたあと、どうして私が!みたいな反応がなかったということなんです。

それでも人生が変わってしまったことで、悩みました。

いろんな本も読みました。

1年が経った頃には教会にも通い始めたし。

今思うと最初の2〜3年はスピッておりました!(笑)

病気になってよかった!に近い、おかしい感じ。

 

 

それが一変したのは、最初の骨折をした時。

2018年の12月です。

クリスマスに洗礼を受けることになっていて、ちょうど1週間前のことでした。

まぁ、骨折には驚いたしショックでした。

この病気にはつきものと知っていたけれど、自分に起きるのは、まだまだ先だと思っていたので。

病院から帰って、固定された腕を眺めながら、自分が脊髄小脳変性症患者なのは本当だったんだ、と思いました。

とっくに指定難病の受給者証も持ってるし、障害者手帳も介護保険証も持ってるのに、難病患者だと自覚したのはこの時なんです。

 

3年経ってようやくスタートです。

そからようやく、こんな病気になりたくなかった、という『怒り』のステージに入ります。

 

ここからのことは、思い出すだけでもしんどいので、また今度書こうかなと思います。

なんで私が様々なことを諦めるのか、もっとサラッと書けると思っていたんですが、難しいみたいです。

なんでも諦めますよと言いながら、心の中では納得いかない部分があるのかな、と今思いました。

だってサラッと書けないんだもん。