全力疾走と午前4時

進行性の神経難病になり8年目くらいだったはず。先祖の戸籍を取ったり、気になる土地の歴史を調べています。

なぜ諦めるのか

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前回の記事で『諦めるのは私の本分』と書きました。

何でも諦めます。 

 

 

この世に人として生まれると、様々な場面で『諦めない』ことを教え込まれます。

んー、違うなぁ。

『諦めない』ことが正しいとか、美しいとかそういう考えを、絶対に間違っていないことのように刷り込まれるというのかな。

 

私だってそうだったんです。

ZARDの『負けないで』も、大事MANブラザーズの『それが大事』だっだか、素直に良い曲だと思うし嫌いじゃない。

でも今は諦めるべきことはアッサリ諦めます。

 

脊髄小脳変性症と診断されて5年が経ちました。

治療法が無い進行性の神経難病。

診断直後は、まず意味がわからないんですよ。

だって普通はどんな病気でも、よくなる可能性が低くても、何かしらの治療はするものだと思っていたから。

それがこれから一生、病気がどんな風に進んでいるのか、治してくるわけでもない医師に見せ続けなきゃいけない、そんなことがあるなんて。

ほんとに意味がわからない。

あぁ、病人扱いもしてもらえない、そんな病気が世の中にはあるのかと初めて知ったわけです。

 

よく受容という言葉を聞きますが……あれですね、キューブラーロスですよ。

否認→怒り→取り引き→抑うつ→受容、という死の受容のプロセスというやつです。

これを診断直後に参加した難病患者の交流会で、どこかのお医者さんが説明していました。

なにしろ足を踏み入れたばかりの難病ワールドです。

受容のプロセスに興味深々でした。

これから自分も、このプロセスを経験するのかと。

 

 

でも実際にはそんな単純な話ではないですよね。

生身の人間です。

私の場合は、否認も怒りもありませんでした。

今思い返してみてもやっぱり無かったと思います。

そして、取り引きも抑うつも無い。

最初の3年くらいの話ですが。

その時期には『どうして私がこんな病気になるの⁈』という激しい感情が、なぜか湧かなかったのですよ。

普通はそういう感情を持つものだと思うのに、

なぜ私には無かったか?

それは症状が軽い上に、進行もゆっくりだったからにほかなりません。

 

杖を持つようになったり、パートの仕事が続けられなくなったり、障害者手帳や要介護の認定を受けたり。

それでも他の同病患者さんより、どう考えても症状は軽いのです。進行もゆっくりなんです。

だからジタバタすることなく、現状を受け入れられたのです。

難易度が低かったということか。

 

 

このまま書き続けたかったんですが、気付いたら今は夜中の3時でした。

さすがに眠くなったので、今日は寝ます。

こういう尻切れトンボになることがよくあるブログです。

すみませんがおやすみなさい。