全力疾走と午前4時

進行性の神経難病になり8年目くらいだったはず。先祖の戸籍を取ったり、気になる土地の歴史を調べています。

その日その時は、神様だけが知っている

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大山のぶ代さんの夫、砂川啓介さんが亡くなったと知り、私としては麻央ちゃんの時よりも衝撃が大きい。

のぶ代さんを残して先に死ねないと言っていたことを、テレビで見たことがあるので、訃報を知った時は思考が止まった。

それほどショックでした。



いつ死ぬか、夫婦でどちらが先に死ぬか、自分では決められないことだとよくわかっているのに、私たちは願います。

残していくのが不安な連れ合いがいれば、自分が後に死にたいとか。

後に残るのが不安な私みたいな病人は、1時間でもいいから先に死なせてくれとか。



人の生き死には自分の思い通りにならないと知ってはいても、そんな勝手なことを願って生きてます。

 ↑ はい、私のことです。

未来がわかっていたら、怖くて生きていけないなと、今更ながらに思います。

例えば自分が残されると知っていたら、私の場合どれだけ心細いことか。

怖くて怖くて、とてもじゃないけど未来に立ち向かえない。

このブログの最初の方で何度も出てきた車椅子のIさん、そのIさんとの会話で何度か出てきた施設で暮らすという言葉。

私の将来の選択肢として、施設もあるねという話だったけれど、その時は全くイメージできなくて他人事。

最近になってやっと夫が先に死んでしまって、私が思いのほか長生きをするかもしれないなぁ、なんてことを考えるようになりました。

そしたら自分のことは自分でなんとかするしかないので、施設というものを選ぶしかないんだろうなとか。

そんなことを考え出したら、夫が生きていても何かの事情で早い段階でそういうことになるかもなんて、そういうことも考え出したりして。

私の病気の進行がびっくりするほど早かったり、夫も何かの病気になって私の介護どころじゃなくなってしまうかもしれない。

考え出したら止まりません。




自分が難病になったこともそうだけれど、人生とは全く願い通りにいかないものだなと、つくづく思い知ります。

結婚した時は、どちらかが死ぬまで一緒にいられるものだと思っていたけれど、生きていても離婚とは違う形で離ればなれになることもあるんだと気付きました。

今、一緒にいられることに、心から感謝しないとなぁ。

いつまで一緒にいられるか分からないんだからね、生きたまま離れる時がくるかもしれないものね。

大山のぶ代さんと砂川啓介さんのお陰で、当たり前だけど忘れがちなことを思い出しました。




その日その時は、神様だけが知っていらっしゃる。

だから私は今日も夫にご飯を作ろう。

今日も一緒の家でご飯を食べて眠れることに感謝します。