全力疾走と午前4時

進行性の神経難病になり8年目くらいだったはず。先祖の戸籍を取ったり、気になる土地の歴史を調べています。

自分の命だけど、自分でどうこうできるものではない

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鹿島アントラーズと言ったら、アルシンド。

そういう世代です、サッカーは詳しくありませんが。

他人事であってもたくさんの人が喜んでいるのは、こっちまで笑顔になる。

・・・気分は海の底なのに。

おめでとう、鹿島アントラーズ。




未来が来ることがすごく嫌で恐怖。

今は絶対いらないと思う手摺でも、私にとってとても大切なものになるのかも。

それは何年後のことなのか。



3カ月先の私はどうしているのか?

半年先、一年先?

10年後はどうしているか?

夫が先に死んだら、私はどうなるんだろう?

家族の負担を考えると、最後は施設?

そういうことになるでしょうね。

人の人生ってどんな意味があるんだろうか。



認知症の高齢者、自分の家がどこなのかわからなくなって困っているおばあさんに会ったことがあります。

あれは何年かまえの大晦日、夕方の6時頃。

名前も住所もわからなくて、どこかに手がかりがあるはずと思ったけど、見つけられず。

結局お巡りさんがきて、旦那さんも来た。



あのおばあさんにも、若い頃があって、今の私と変わらない生活があったんだろうなと。

歳をとって、自分のことがわからなくなって、人生を終えるって、なんなんだろうと思ってしまう。

飛行機の事故で、沢山の人が亡くなったと知りました。

サッカー選手もたくさん亡くなったと。



命のことは、私達にはどうすることもできないんだなあと思いました。

起きてもいないことを怖がることはないのかも。

私の病気は、生きていたらこうなっていくよと事前に判ってしまっているけど、だから早く死んでしまえたらいいのにとか。

そんなこと考えるのは阿呆だ。

さあ、寝る。