全力疾走と午前4時

進行性の神経難病になり8年目くらいだったはず。先祖の戸籍を取ったり、気になる土地の歴史を調べています。

不登校娘の連続フル登校にビックリしている

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学校へ行けない


タイトルの通りです。
中学生の娘の事ですが、昨年度は不登校気味でした。
私の緑内障だと診断された夏過ぎからポツポツ学校を休むようになり、12月に脊髄小脳変性症と判明した頃からは一気に本格化。
週に2日位は登校していましたが、遅刻して行き早退してくるような日々でした。


その頃に娘を交えて、担任の先生と話をしたことがあります。
そこでの娘の発言はこうでした。
「一年生の欠席日数は受験に関係あるの?」
先生もすんなりとこう言っちゃいました。
「ん~、本当の事言っちゃうと公立高校なら関係ない。」
そしたら娘はこう言いました。
「じゃあ、2年生になったらちゃんと行く。今は無理。」


なんでそうなるのか分からないけど、今はしょうがないか!という謎の結論に達し、それでも少しでいいから学校行こうね、というありえない対応をしたのでした。
まあ事情が事情なんで、私も頑張りようがなかったし、少しでも学年が変わるタイミングで、ちゃんと登校できるように、完全不登校にだけはならないように・・・とあがいたのでした。


ところが2月に入り、3月に入る頃には、娘の不登校は本格的になってしまい、「あ~これじゃあさすがに、4月からは普通に登校するなんて無理だわ」という状態になってしまいました。
朝は本当に起きられなくなり、私が仕事に行く時間(その頃は11時)はまだグッスリ寝ていました。
そしてたまに学校に行っても、3時間目で早退とか4時間目から行って昼前には早退とかとか。


転機


もう諦めました。
あ~このまま不登校まっしぐらだなと。
そんな状態のまま1年生の終業式を迎え、運命の3月31日になりました。


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私達母子を温かく見守ってくれた先生の異動です。
娘の恩師である前に、もう私の恩人です!
病気が判ったあとの、どうしようもない日々を乗り切れたのに先生の存在はとても大きかったのです。
その先生がいなくなる。
次の先生は私達を甘やかしてくれるとは限らない。←普通そうですから
どうしよ~!
心細い。



でも、先生の異動を教えるその新聞記事を見ていると、きっと神様からのメッセージなんだろうな、という諦めも生まれました。
先生がいなくなることは、もうどうしようもない。
そこは現実を受け入れるしかない。
そして私は次のステップに行かなきゃいけないんだ。
そう考えるようになりました。


その日から始業式までの数日間で、私の覚悟もできました。
本格的な不登校児になった娘と難病患者の母親だけど、前向いて行くぞ、オー!
みたいな。
しっかり覚悟しました。
そして離任式。

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ちょっと大変だったけど行って良かった。
離任式での先生の最後のお話。
途中、娘へのエールだとわかる内容に、ただただ涙でした。
その日の夜、そのことについて娘にきくと、ちゃんと分かっていました、先生が自分を応援してくれていること。


始業式は新しいクラスの発表を楽しみに学校へ行き、翌日は離任式なので先生にお別れを言うために学校に行きました。
さて、次の日は行くのかな?と思っていたら、見事に行きました。
最初から最後まで。


次の日も、最初から最後まで。
その次の日も、最初から最後まで。
朝も7時前にはスッキリと起きて、自分でしっかり支度をして登校します。
うそ~!
そんな感じですが、そんな調子で今日まで連続フル登校です!


母親の安定は子の安定に直結する


「じゃあ、2年生になったらちゃんと行く。今は無理。」



あれは本当だったみたいです。
昨日聞いてみたらこんなことを言っていました。


「私は自分で言ったことはちゃんとするんだよ。」



私が生んで育てた子なのに、全く想定外のことばかりです。
本当に、あの学校行けない日々は何だったの?と思うばかりです。


子どもって母親のお腹から出た後も、見えないへその緒で繋がっているような気がします。
母親が不安定なら、子どもも不安定になる。
当たり前だろうなと思います。


こんな病気になり、この先体が動かなくなっていくと分かった時、やっぱり心は千々に乱れます。
そんな私と見えないへその緒で繋がる娘も、同じく千々に乱れていたんでしょう。
とても学校どころではなかったはず。


そんな母親でも少しの時間が過ぎ、様々な覚悟が決まってくる。
それなりに安定してきたんだと思います。
呼応するように、娘も安定してきたのでしょう。


そして桜が咲き、新しい春が来た。
娘も学校へ行くようになった。
よかった。
娘はこないだこんなことを言ってくれました。



「杖、持ってもいいよ。」

あんなに人に見られることを嫌がっていたのに、もう見られてもいいんだと言う。
受け入れがたいことを受け入れるには、それ相応の時間が必要。
これからもいろんなことがあるはずだけど、娘を信じて一緒に乗り越えていこうと思います。
(信じるというか、親の私の想像を超えた子です。)