全力疾走と午前4時

脊髄小脳変性症の患者本人が書くブログです。

離任式、異動していく先生にお礼を言えてよかった

きちんと直接お礼が言えてよかった。
春までお世話になった娘の担任の先生が異動されるので、離任式に行ってきました。
掴まる場所があったとしても、完全に下を向く体勢になるので、靴の脱ぎ履きは難度が高い。
普通の人には意味が分からないと思うけど、靴を脱ぐのは大変です。


それに大人数が体育館の入口で靴を脱ぐから、危ないなと思っていました。
勿論、誰もいなくなってから、ゆっくり靴を脱げばいいんだけど、どんな状況になるかは行ってみなけりゃ分からない。
だからやっぱり私は離任式行くのやめようかな~と考えたりしてました。
電話でお礼を言う、もしくはお手紙にしようかなんて考えていましたが、やっぱり感謝の気持ちは顔を見て伝えるもんだ!そう思い離任式に行くことにしました。


でも行ってみたら、保護者はあまり来ていなくて驚いた。
小学校とは違うのね。
今年異動になる先生は、その先生1人だけ。
普段から授業参観も懇談会も保護者の出席率はとっても悪いから、そんなに来る人はいないだろうと思ってたけど想像以上にいなかった。
まあね、朝早いから行くつもりだったお母さんも来れなかったりするんだろうと、いいふうに捉えました。
だって先生は私の恩人ですから、とっても良い先生だということは間違いない。
私は体育館の入口の外側から見ていたので、奥の方にも保護者はいたかもしれない。


離任式で先生の最後のお話がありました。
もう壇上の先生の姿を見ただけで涙が出てしまう。
他にも娘のような境遇の生徒がいたのかもしれないけど、明らかに娘へのエールととれるお話もありました。
涙は止められないものですね。
近くにいる生徒たちに見られるのが恥ずかしかったので、一生懸命我慢したけど、静かに涙が流れ続けました。


この病気が判って、受け止め方も分からず、娘も学校を休みがちになった時、こまめに電話をいただきました。
大体週3から週4で、先生と電話で話していました。
頑張れない娘に、頑張れと言えない母親。
私の現状を理解して下さり、どうすることもできない親子の心に寄り添ってくださいました。
きっと私が歳をとり、この病気の始まりを振り返った時、必ず思い出す恩人となるはずです。
あの時期に・・・と言っても数か月前だけど、先生が支えてくれたこと、一生忘れないはずです。


もはや娘がお世話になったというより、私がお世話になったんです。
そんな感謝をきちんと伝えることができて、本当によかった。
3月31日に新聞で先生の異動を知った時、次の段階に行きなさいという神様からのメッセージだと受け止めました。
多分、その考え方で正しいと思う。
病気の受け止め方も分からない、母親としての務めも果たせない、それでもOKよ、という時期は終わったんだとしっかり理解しました。
あの先生がいたら私はいつまでも立ち止ったままでいるでしょう。
甘えてしまいます。
今回のお別れは私にとってもいいチャンスです。
私達親子はもう歩き出すときなんだなと思いました。


きっと大丈夫です。
私は母親、強くありたい。
前だけ向いて歩きます。

振り返ると目が回るからね・・・