全力疾走と午前4時

進行性の神経難病になり8年目くらいだったはず。先祖の戸籍を取ったり、気になる土地の歴史を調べています。

難病母さんとプレ空の巣症候群

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専門学校を卒業してから体調のことなどもあり、アルバイトなどをして過ごしていた息子が就職しました。

まだほんの数日しか経っていないんですが、なんですかねこれは?

朝7時過ぎに家を出る息子の為、すんごく久し振りに朝ごはんを作ったりしてます。

子ども達が小さかった頃は、毎日毎食きちんとごはんを作っていました。

まぁ普通のことですね。

それが段々と体調に問題が出てきて、ハッキリ難病ですと診断が下りた辺りから、あれができないのこれができないのと、そんなことになっていきまして。

気付いたら1日1回、晩ごはんだけなんとか作るといった状態になっていました。

病気のせいなのか、といっても身体的な問題とか精神的な問題とかいろいろあると思いますが、どっちだかわからんがとにかくごはんが作れない!ということでした。

それ以外の家事もあまりできなくなって、主婦としてはもはや5分の1人前くらいでウダウダしてました。



そんな私が人生で初めてアルバイト以外で働く息子のために、朝ごはんを食べさせてあげたいなーとか、簡単なお弁当でも持たせてあげたいなとか。

私にできる精一杯のことで応援してあげたくなって、朝早く起きられたんです!

お味噌汁が作れたんです!

おにぎりと簡単なおかずも持たせてやれたんです!



今まで1年?2年?まったくできなかったことが、なぜ急にできたのか?

私の病気は進行性の神経難病です。

よくはならない、ジワジワとできないことが増えていくだけ。

よーく考えたんですが、もしかしたら空の巣症候群みたいなものだったのかもと思っています。

難病の診断を受け入れられなくて、身体的な問題も増えていき母親としての働きが不十分になっていく。

そんな母親を見ながら、現実を受け入れ成長していく子ども達。

うちのお母さんは、健康なお母さんとは違うんだという諦めみたいな思いもあったかもしれないけれど、結果的に私は5分の1人前の母親でも許されるようになった。

通常は母親がいらなくなるのは、もう少し先なんだろうけど、我が家は知らず知らずのうちにそうなっていた。

・・・ということらしい。



気付いたら私が母親の仕事をしなくても、子ども達は大丈夫になっていたという。

病気による様々な喪失体験のほかに、母親としての役目も喪失気味になっていたから、自分はもう朝ごはんを作ることはできないんだと思っていました。

新しい環境で頑張る息子のためにできることをしたい、その思いでもう少し母親らしいことができるかもしれないと思いました。単純なので。(笑)