全力疾走と午前4時

進行性の神経難病になり8年目くらいだったはず。先祖の戸籍を取ったり、気になる土地の歴史を調べています。

希望がないこと 生きがいがないこと

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ひとつ前の記事を投稿した後、なぜか眠れなくて午前4時頃まで起きていました。

急に自分には生きがいが持つことができないことに気付いてしまい、そんなことを延々と考え続けていました。

以前買った本、神谷美恵子さんの『生きがいについて』を貪るように読みました。

久し振りに開いたこの本は、文章がとにかく優しくて不思議と心が平安に包まれるような、そんな感じがしました。

今の自分は心の平安だなんて、とてもとても・・・といった状態なのに。





最近の不安定さはどこから来るんだろうと、そんなことばかり考える。

突然、私には生きがいがないんだと気付いてしまう。

何かをしたいと思っても、何も始められない現実。

実は少し前に、私は牧師になりたかったんだと気付いたことがありました。

これは宗教に触れることなく生活している人には、「なんだそれ?」ということなんだけども、まあそういうことなのです。

自分が教会に通い牧師という生き方を知るうちに、自分も人と神様のために働けたらいいのにと思うようになっていたのです。

自然にそんな気持ちになっていたとは自分でも気づいていなかったのですが、Twitterでたまたま知り合った牧師さんに会いに行って色々なことを話すということをしたら、あら不思議、私は牧師になりたかったんだと気付いてしまったのです。

コップにいっぱい溜まっていた気持ちに気付かずにいたんだけど、たまたま出会った牧師さんと話してみたらコップの中の何かが満杯になって溢れてきたという感じか。



・・・でもね!




私には無理なのよ。

牧師になるための学びは時間がかかる。

本を読んだり、文字を書いたりする。

私には今の身体の状態を維持することはできません。

今はギリ本を読むことはできるけれど、何かを見て書き写すという作業ができない。

わずか数センチの視線移動も目が回ってしまい無理。

その他にもこれは無理だと思うことが沢山ありすぎて、笑ってしまうほど。

とにかく身体の色々な症状が進行してしまうんだからしょうがない。

これは根性の問題ではないのです。

この身体でもできる方法を考える、それで解決するわけではないのです。

だって状況はどんどん変化していくから。

進行性とはそういうもの。

ただただしょうがないことなのです。



今からやってみたいことがあっても、もうできないのです。


それはもう受け入れるしかないのです。

人生はいつからでもやり直せるとか、何かを始めるのに遅いということはない、なんて言いますが『無理』な場合もあるんです。

例えば死んでしまった人は、新しいことを始められないんです。

身体が動かなくなる系の病気で進行性ってそういうことなんです。

ただ命があるだけ、まさに生きる屍。

生きているけど死んでいるのと同じ状況だと言えるのです。

そんな状態で希望って持てないんですよ。

持つというかないんです、どこにも。



昨日読んだ本、『生きがいについて』にも書いてあり、私も激しく同意することがあります。

ただ本に書いてある文章をここに書き写すということができません。

目が回ってしまうので。


本に書いてあったのは、前途がどうなっているか分からない方がいいということ。

どこまでも道が開けていると感じられるから、だそうです。

全くその通りだと私も思います。 

先の事が分からない方が、未来に希望を持てるんじゃないか。

実際にそんなことがあるわけないんだけれども、来週交通事故で死ぬことが決まっている人がいたとしましょう。(だからそんなことあるわけないのは分かっています)

その人が高校3年生だとしたら、今頃卒業後の進路を考えているはずです。

秋には推薦で大学進学を決めるんだ、春からは大学生になるんだと希望に胸を膨らませるということが出来るのです。

来週死ぬことを知らなければ、自由に未来を想像できるのです。

でも来週自分が死ぬことを知っていたら、来ないと分かっている未来を想像することはできません。


そう、未来を描けない、希望を持てない。



未来が描けない、希望が持てない病気なんだと分からなかったんですよ、3年前の私は。

なのに何だか楽しそうで・・・って楽しんでいたんですよ、この難病を。

自分は楽しくやっていかれると思っていましたから。

でも気付いちゃったんです、やっと。

未来はないし希望はない。

その二つが無いということは生きがいもない。



そうそう、『生きがいについて』の中にはこんな感じのことも書いてありました。

生きがいを失った人は、肉体に引きずられて生きていく存在、まさに「生ける屍」