全力疾走と午前4時

進行性の神経難病になり8年目くらいだったはず。先祖の戸籍を取ったり、気になる土地の歴史を調べています。

みんな何かを抱えてる、私だけが特別苦しいのではない、だから頑張ろう

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今日は訪問リハビリの日。

正直、もうやめてしまいたい。

一番の理由は、PTさんの年齢。

なんと私と同い年でした。

数ヶ月前、ひょんなことからその事実を知ってしまったのですが、時間が経ってからジワジワくるんですわ、私とPTさんの今いる状況が。





その人は国家資格を取得し、着実にキャリアを重ねてベテランPTとして私のところへ来てくれる。


そして私は進行性の難病患者よ。


なんなんだ、この差は。

どうしてこうなった?

同い年ということがこんなに苦しいとは、思いもしませんでした。




で、訪問リハビリ、もうやめたい。

その人に会うのが辛すぎる。

そそんな理由で、かれこれ3回もリハビリをドタキャン。

だって本当に会いたくなかったので。






でも、今日はいろいろ考えてみた。

よーく考えてみた。

私が辛いのは、進行性の難病患者になって、できないことがどんどん増えて、気付いたら一人前の障害者になっていた。

そして私とは違って順風満帆に人生を歩んできたはずのPTさんにお世話になっている。

生まれてから同じ年月を生きている(月は分からないけど)2人の大きな差が残酷すぎる。




と、まー私はこんなことを考えています。

だから辛いのです。

私なんか私なんかという発想です。




でも、順風満帆に見えるのは、ただそう見えてるだけ。

本当に順風満帆かなんて、私に分かるはずがない。

そのPTさんに限らず、身近にいるあの人この人。

みんな私に比べたら苦しみの少ない人生の中にいるように思える。

けれど、それ本当か?

みんな言うのか?



私はとっても大変だ!


人に言えない苦労をしているんです!



ってなことを言うんだろうか?

私もそうだけど、本当に大変な思いをしていてやっとの思いで生きてるような人でも、こんなことを言われることがあると思う。



「あなたはなんにも悩みが無さそうでいいね。」




ガルルルゥ!と噛みついてやりたくなりますよね。

これ、沢山の人が経験してるんだろうなと、さっき思いました。

考えて考えて、思いつきました。

私だけ特別な苦しみを抱えていると思いがちだけど、そんなものきっと誰だって持っているんだよなと。

あのPTさんだって何かを抱えているかもしれないし。

言わないだけで、みんな何かを抱えてる。

そう思ったら、難病になり障害者になった私が特別なわけでもなさそうだと思えました。

人と比べて「私なんか」と思う必要は全然ないんだと自信を持てました。

そしたらねー、訪問リハビリもそんなに嫌じゃなくなったとさ。

しばらく心が回復するまで、リハビリはお休みしようかと思ったけど、それ自体やめました!

時間は大事、また次につまづくまで頑張ることにしましょう。