自分が難病になって、大きく変わったことのひとつに「人を励ませなくなった」ことがあります。
人を励ます場面って日々あるけれど、特に重要と思われる場面で私は何も言えないのです。
自分の家族や近しい人達へのありふれた励ましや、応援の言葉、それらは問題なく口から出てきます。
でも、なかなか重たい状況にある人への励ましは、一切できません。
自分が病気になった後、何度かそういうことがありました。
がんの再発が判った人。
大切な人を亡くした人。
そんな人に対して、たくさんの人が何らかの言葉をかけていました。
でもね、私はできないのですよ。
今まさに大変な思いの真っただ中にいる人を前に、何にも言えないのです。
そのことに触れることができないのですよ。
知っているはずなのに、わらさとさんはなぜ何も触れないんだ?と思われたかもしれないけれど、触れられないものは触れられない。
今でもハッキリ覚えている脊髄小脳変性症の診断直後、いろいろと迷惑をかけてしまうので、すぐに職場に報告したんだった。
病気のことは、周囲の人の知るところになりました。
その時に、ある人達をのぞいて全員が様々な言葉で励ましてくれました。
スーパーのレジのパートです。
レジの仕事って、一人でやることもあれば二人制でやることもあるでしょ。
あれで誰かと二人になるのが苦痛で苦痛で。
だって、みんなその人なりの精一杯の言葉で励ましてくれるんだもの。
ある人は「医療は進歩してるから、諦めちゃダメだよ。」と。
別の人は「どこかに治せる医者が必ずいるはずだから、諦めずに探すんだよ。」とか。
あとはもはや意味わかんないんですけど、「自分にだけは負けちゃだめだよ。」などなど。
どちらかというと、心がざわつく励ましの方が多かったような気がします。
そんな人達の中に二人だけ、そのことに全く触れない人がいたのです。
本当に何にも聞いてこないし、励ましもしてこない。
でもいつも私を視線の中に入れてくれていて、私が困りそうな場面でスッとフォローしてくれる。
どこにいても私を見ていてくれて、「危なかったら私に摑まってください。」と言ってくれたっけ。
本当にありがたかったし、その二人といる時はまるで安全地帯にいるみたいでした。
この人達は私の心をざわつかせることをしないし言わないと、いつも安心できました。
この診断直後のことがあってから、私は人を励ますことが怖くなりました。
誰かが大変な状況であればあるほど、そのことに触れられないのです。
何も触れないことで「わらさとさんて冷たい人なんだな」と思われたっていいのです。
どっちにしろ嫌な思いをさせるなら、何もしないほうを選びます。
私の言葉で、その人の心をざわつかせたくないと思ってしまうのです。
言わなきゃ思いは伝わらないというのは、よーく分かっています。
でも心の中で全力で応援する、今の私にはこれしかできないのですよ。
あの子のこと、あの人のこと、それからあなたのことだって、全力で応援してるんです。