全力疾走と午前4時

進行性の神経難病になり8年目くらいだったはず。先祖の戸籍を取ったり、気になる土地の歴史を調べています。

病気だと明かされたら、私は言葉をかけられない

記事内に商品プロモーションを含む場合があります。

また定期的なアレが来ました。
安定の『不安定』ってやつです。


Twitterである呟きを見てしまいました。
そのアカウントはガン患者さん。
書いてあったのは『ガンだと伝えてからも連絡くれる人とくれない人がいて、それで相手にとって自分がどんな存在なのかわかって辛い』というもの。


うーん、考え込んでしまった。


私の周りにも、この数年の間にガンになったり再発してしまった人はいる。
今の私の活動範囲は教会くらいなので、その中でのことだけど。


そういう話を聞いた時、ほとんどの人がご本人に声を掛ける。
何を言ってるのかわからないけど、恐らく勇気付けたり励ましたりしてるんだと思います。


うーん、また考えてしまう。


私はその人にガンのことについては、一切話せなくなっちゃいます。
励ますなんてできないし、ガンのことにかすりもしない話題しか無理です。


その理由は、自分が難病になったと周りに明かした時の経験があるから。


みんな励ましてくれる、希望を持ってと言います。
『諦めないで』と何度言われただろう。
治療法のない病気な上に進行性だと説明してるのに。


当時周りの人達はほぼ全員が同じ事を言いました。
そういうことを言わなかった人は3人だけです。


1人は職場の上司。
ご主人が進行性の神経難病だという人でした。
あとの2人は職場の若い子。
病気のことには一言も触れずに、私が困らないよう危なくないよう常に気遣ってくれました。


希望だなんだという人が多い中、この3人は私にとって安全地帯みたいな人達だったなぁ。


病気になって励まされるのは辛かったなぁ。
だから私のようになった人には、関係ない話しかできないし、誰もが頑張ってと声をかける場面では遠くから見ているしかできないのです。


だからガンになったら連絡をくれなくなった人も、色々な思いがあってのことじゃないのかなぁと思うのですよ。


こういうのはその人その人の経験だったりも関係するし、あぁ難しいなぁと思います。


何年か前、教会での礼拝で報告連絡という時間にガンの再発をみんなの前で話した人がいました。
その後礼拝が終わると、たくさんの人がその人に話しかけに行ったんです。
力強く握手をしたり、『大丈夫』という言葉が聞こえたり。


私は近寄れなかった。


私は病気になった人と話すことはできるけど、病気の話題に触れることはこれからもできないでしょうねぇ。


昨日あのTweetを見て、こういうふうに思われることもあるのか、難し!と考えてしまいました。