生きることと死ぬこと、中間は無いのか・・・
死生観について書かれている本に大変興味があります。
私の病気、脊髄小脳変性症は発症したからといって、すぐにどうこうなるものではありません。
平均寿命まで生きられる、と聞きます。
しかし進行性の病気なので、どの程度身体が自由になるのかはわかりません。
身体の自由と言っていられるくらいならいいのですが、平均寿命まで生きた場合はどの程度介助が必要なのか。
食事は自分の手を使ってとることができるのか。
ひと口ずつ、口に運んでもらうのか。
排泄はどうなっているか。
自力でトイレに行けるのか。
身体の機能よりも私が怖いのは、家族とコミニュケーションがとれなくなること。
何が起きてそういうことになるのか、私にはわからないけれど、段々と喋れなくなっていく。
既にすらすらとは喋れません。
私の喋る内容がどの程度相手に聞き取ってもらえるか。
その頃には、手も自由には動かなくなるだろうから筆談や文字盤といったものも使えるかわからない。
口も駄目で文字盤も駄目なら、目を使うらしいけれど私は目も良く見えない。
どうなってしまうのか。
その怖さは半端ないもの。
病気の進行は予想できません。
死生観について書かれた本は、興味を持っているだけでまだ読んではいません。
けれども人生の指南書のような本はよく読みます。
そういった本には必ずと言っていいほど、病気との向き合い方といったことが書かれています。
随分たくさん読んだけれど、私の心に響くものはないのです。
この世は無常だといいます。
だから病気も痛みも、ずっと続くものではないと。
そのほとんどが、闘病できる類の病気を想定して書いてあるような気がするのです。
私の病気は、病気ではないのか。
やっぱり障害なのか。
そして進行性の。
時間が経てば重度化していく障害。
今の状態で固定される障害ではなくて、生きている限り進行する。
なんで自分がこんな病気になったのかとか、人生終わったとか、そういったことは考えたことはありません。
でも人生の指南書のような本に書かれていないのがなんだか辛い。
こんな身体で生きていく、私にピッタリの内容が書かれた本はないのか?
ALSや脊髄小脳変性症の患者の道しるべになるような本が読んでみたい。
そして死生観、これは思わぬところでとても納得するものに出会いました。
君の膵臓を食べたいという本。
- 作者: 住野よる
- 出版社/メーカー: 双葉社
- 発売日: 2015/06/17
- メディア: 単行本
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途中までは真面目に読んでいて、結局死んじゃうんでしょと結末が知りたくてページを捜してしまった。
そして見つけてしまったページに書いてあったのは、病気で余命いくばくもない主人公が別の理由で死んでしまった事実。
私がズルをして読んでしまった結末は、それで合っていますか?(笑)
いつか死ぬんではなくて、いつでも死ぬ
ある女優さんが言った言葉ですが、その通り。
余命宣告を受けたからと言って、その病気で死ぬとは限らない。
余命宣告を受けた患者は事故に遭ったり、事件に巻き込まれたりしない・・・そんな保障はないのです。
私の場合は身体の機能を奪われる予定であって、奪われる前に死ぬかもしれない。
重度障害者になれないまま、人生を終えるかもしれない。
あまりにも当たり前の事実に気付いてしまいました。
こんな私にピッタリの本に出会ってしまったけれど、それでもまだ探すんだと思います。
どんな心持ちで生きていったらいいのか。
そんなことは自分で考えろと、心の中では思っているのに。