全力疾走と午前4時

進行性の神経難病になり8年目くらいだったはず。先祖の戸籍を取ったり、気になる土地の歴史を調べています。

親である自覚

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久し振りですが、地味に生きていますので大丈夫です。

息子が就職したことで、私にも新しい毎日が始まったような錯覚があり、少しだけ生活に変化が出てきたような気もします。錯覚かもしれませんが。(笑)

それでもできることが減っていくのを見てるだけの毎日の中、新しいリズムができつつあるのは、少しだけ嬉しいかもしれません。




さて、うちの娘のことなんですが、高校生になってだいぶ経ちますが、やっとアルバイトが決まりました!

これはかなり嬉しいことです。

中学時代の不登校から、人とのコミュニケーションが絶望的に苦手。

お金が欲しいという強い気持ち(気持ちは強かった)だけでアルバイトの面接に行っても、ことごとく撃沈でした。

多分、面接で会話が成立しなかったんだろうと母は予想してます。

そんな娘がやっとやっと採用と言っていただけました。

本当にびっくりするやら有り難いやら。



どんなアルバイトかというと、街のパン屋さんです。

笑顔全開で面接から帰宅した娘にきいたところによると、どうやら福祉法人が運営するパン屋さんのようでした。

障害者が作業所で作ったパンを販売しているお店だそうで。

そういう説明があり、障害者とかそういうのは大丈夫かなと聞かれて、すかさず娘は言ったんだそうです。

 

「障害者に偏見ないです!」



で、その場で簡単に母親が障害者で・・・という説明をしたらしく、めでたく採用になったそうなのです。

そりゃよかったよかったと思っているんですが、そのパン屋さんをネットで調べるとパンを作っているのは知的障害者の人達。

お母さんとは違う障害だけど大丈夫かと娘に聞いてみたら、「何が違うの?好きで障害者なわけじゃないよ、みんな同じだよ。」と。

我が娘ながら、本気で思ってるんだなと感心しました。




娘にしてみたら中学1年で母親が難病になり、もれなく身体障害者に。

これからどうなってしまうんだろうという不安の中、同級生からの「お母さん、障害者なの?」という言葉の数々。

私には想像できない経験をして、もうすぐ5年。

成長したんだなと思うと同時に、私の難病が娘の人生観にも大きな影響を与えてしまっていることを実感しました。

この現実を私が受け入れるとか受け入れないとか言ってる間も、娘は私をじっと見ているんだと初めて気付きました。



子どもは見ている!



親も人間だからジタバタしてもいいけれど、その姿を我が子がじっと見ている、それが子どもの生き方に大きな影響を与えるかもしれないことを忘れちゃいけないんだと、今日から自覚することにしよう。