全力疾走と午前4時

進行性の神経難病になり8年目くらいだったはず。先祖の戸籍を取ったり、気になる土地の歴史を調べています。

今日も頑張った

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今日も一日頑張りました。

頑張って作った晩ごはん、子どもと食べて何とか後片付けも済みました。

この片付けが私にとっては大変なんですが、今日は今日中に終わりました!

大抵は途中でギブアップして、続きは翌日になります。

今年の夏もヨシケイのお世話になり、無事に涼しい季節になりそうで。

今夜作ったものは写真撮り忘れたので、昨日のものを。



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こんな感じで、一応まだ作れます。

朝と昼はまともなものを作れないけれど、一日一回夜だけは頑張って作ります。

今日できたことは明日もできるだろうし。

包丁を持つ手が不思議な動きをすることもあるし、爪を削いでしまう頻度も増えてきて、いつまで料理ができるか予想できません。

が、今日できたんだから明日も頑張りますよ。



そうそう、ひとつ前の記事に、『私の病気が娘の人生観を変えた』と書きましたが、そう思った理由はアルバイトのエピソードだけじゃないのです。

娘は中学3年の時、将来の職業としてぼんやりとですが『看護師』をあげていました。

そして今、高校生になり具体的な進路として、看護学校を目指すようになりました。



私の難病が判った時、息子は高校2年生、娘は中学1年生。

ある程度成長していた息子は、生活を大きく変えることなく、この4年間を過ごしました。

けれど娘は中学生の女子にありがちな人間関係の問題がある中での、母親の難病発覚。

学校へ行けなくなり、生活は大きく変わってしまいました。

とても辛い時期を過ごしましたが、それをしっかりプラスに変えることができたようで本当によかった。

そんなことがあって、子どもにとって母親の病気はとてつもなく大きな出来事なんだなと、改めて感じたわけです。

前の記事で書いたことの繰り返しになりますが、子どもは親をじっと見ている。

これからも見ている。

どんな未来が待っているにせよ、子どもをガッカリさせないように、しっかり生きていかなくてはと強く思います。

そして日付が変わってた。。。