全力疾走と午前4時

脊髄小脳変性症の患者本人が書くブログです。

生活感のない部屋に憧れるけど・・・家族はそんなの求めてない現実

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カビだらけだったカーテンを変えました。

なんの変哲もない、真っ白なレースのカーテン、清々しいです。

カーテン越しに見る外の明るさが、幸福感いっぱいです。

画像は夕方になってから撮ったので、清々しさとは違った表情してますが。



このカーテンのカビに気付いてから、結構経ってしまいましたが、やっと変えました。

外してゴミ袋に入れてから撮ったので、より汚く見えますが、窓にかけた状態でもスペシャルな汚さでした。


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ただカーテンが新品になっただけなのに、気持ちまですっかり変わったような気がします。

錯覚だよ錯覚、そう言う自分もいる。




今日は横浜市の在リハの方達が訪問してくれて、いろんな話をしました。

その中で、どんなことに困っているかの話をしました。

私は主婦なので、当然家の中のことをやっています。

それが体の不自由さのせいで、充分にできなくなってきていて、その愚痴がほとんどになってしまったような気がします。

これって動けるうちは、ある程度は根性論で頑張るしかないような、そんな気もしていることも話しました。

私としては家の中はいつでも綺麗にしておきたいわけです。

それができなくなっている現実。

でも家が綺麗な事に喜びを感じない家族。

なんとかしたいけど、ならないよ~。そんな話。



ここからは、昨日考えたことなんです。

今、ミニマリストが流行っていたり、インスタグラムにすんげー綺麗な家の中の様子をUPしたり、そんなことが流行っていますよね。

生活感のない家の中。

主婦としてはあそこまで綺麗な家の中は、とても憧れます。

だから多くの人が、そんな綺麗な部屋の写真を見たがるのでしょう。

でもそれって、逆にどこのお宅もあそこまで綺麗にできないということなんですよね。





生活って途切れることのない、日常の繰り返しです。

朝起きてご飯を作り皆で食べる。

人が家の中を動き回る、それと同時にモノが家の中を移動する。

家族が外に出ていく、帰ってくる。

毎日何かしら新しいモノを家の中に持ち込む、チラシ一枚だったとしてもモノは増える。

家の中を人とモノが移動する。

ご飯を作る、食べる。

お風呂に入る、寝る。



この繰り返し。

その最中に家の中を整え、綺麗にする。

これが人の生活です。生活感はあって当然です。

なのに、ネットから生活感のない綺麗な部屋を維持している人たちがいることを知ると、何ともいえない敗北感を感じてしまう。

私はとっても感じてしまいます。

私だって、あのくらい綺麗にしたいの!

でもこの身体では無理です。

だったら家族が協力してくれたらいいのに。

そう思うけど、家族は生活感のない部屋を望んでいるかが大事なところ。




私の理想とする部屋と、家族が理想とする部屋には大きな隔たりがあるという現実。

これを直視しないといけません。

何が言いたいのか、いよいよ分からなくなってきましたが、こういうことだと思います。



主婦の私には理想とする部屋がある。

それは生活感を感じないほどの綺麗な部屋。

働く父親や学校に通っている子ども達には、特に理想とする部屋はない。

恐らくないと思います。



主婦にとっては主婦業がそのまま趣味になっていることが多いんだろうなということに、昨日気付きました。

多分、趣味だという自覚は無いと思いますが。

だから私の思い描く部屋の綺麗さ加減というのは、ただの趣味でしかないということ。

身体が不自由になって歩くことを諦めるのと同じように、綺麗すぎる部屋というのも諦めるしかないんだよなと。


だから私の考える綺麗さは、すっぱり諦めましょう。

ただ健康的で安全な場所にはしたいです。

カビはもういりません。

そのためには、どうしていったらいいんだろう。

主婦だけが部屋の中を整えるんではなくて、家族全員が力を出し合うことで、それなりの状態にできたらいいなと思うことにしようかなと。

そうは思ってもいろんなことを考えてしまいます。

これからも、いろんなことを考えてみます。

家の中のことって、私の病気や障害と関係なく、家族にとっても大事な事だと思うので。