差別の正体って、なんなのだろう?
意識してする差別、無意識にしている差別、自分の中にもあることに気付きました。
きっかけは私のこの病気。
次第に運動機能が失われていく病気、既にできなくなった動作もある。
いろんなことに不都合があって、その理由が脊髄小脳変性症という病気のせいなんだと気づいた時、色々なことを考えました。
まず1番目に考えたことは子ども達の将来。
子ども達も同じ病気になるんではないか、結婚が難しくなるんではないか・・・
2番目も3番目も4番目も5番目も、考えるのは子どもの事。
自分の身体のことはすぐには考えられませんでした。
子ども達の心配の次に考えたこと。
この書き方だと、6番目位に考えたことだな。(笑)
それは仕事のこと。
今は週3回働いているけど、いつまで働けるか?
病気が判ったのは12月の中旬だったので、年内で辞めることになるだろうと思いました。
自分の身体自体は、まだ周りの人と同じように仕事ができると思いました。
身体の機能から判断すれば、あと半年位は働ける状態に思えました。
ではなんで年内で辞めることになると思ったのか?
それは完全な健康体ではない人間が、健康な人達に混じって働いてはいけない。
重い病気になった人間は早く辞めないと・・・
なんだろうね、自己規制?
多分会社側から退職を促される前に、自分から言い出す方が精神的に楽だと考えたからじゃないかと思います。
辞めてくれとか、いつ頃まで働く予定かと聞かれたら心の痛みはどんなもんか。
そんな思いはしたくないから、辞めろと言われる前に自分から辞めると言おう。
この発想の根底にあるものはなに?
重い障害を持ったり、病気になった人は仕事を辞めなきゃいけない。
健康な人と同じことができない人は、健康な人達だらけの職場で働いてはいけない。
働くなら同じことができないといけない。
これって自覚したことないけど、差別的な考えなのかも・・・
何日かかかって、うっすら思うようになりました。
うん、きっと差別だ。
仕事とは大雪が降っても台風が来ても、なんとしても行くもの。
これは日本人の共通認識です。
だから以前のように身体を動かせなくても、働きたかったら動かさないといけない。
それができないなら職場を去らなくてはいけない。
多分みんな思っていることだと思う。
勿論障害によっては、物理的にできないことがあるから乱暴な考えではない。
でも十把一絡げにしてはいけないと思う。
↑
自分が病気になって思う事ね。
ちょっとした配慮で、障害があっても同じ職場で働き続けることができたりする。
その配慮をどうしても健常者は、障害者だけ特別扱いしていると思いがちだけど違うと思う。
健常者と障害者が対等でいる為には、様々な配慮が必要。
決して特別扱いじゃない。
先日ネットでみたイラストがとても分かりやすかった。
身長が違う3人の人が塀の前にいる。
3人とも塀の向こうが見たい。
そこで3人に同じサイズの踏み台を使わせた。
公平に同じ高さの踏み台だ。
背の高い人は、踏み台に乗ったら余裕で塀の向こうが見えた。
やや背の低い人は、踏み台に乗ったら丁度向こうが見える高さになった。
1番背の低い人は、踏み台に乗っても向こうは見えない。
踏み台をもう一つ足せば、向こうは見える。
これが合理的配慮じゃないかと思います。
特別扱いしているとか優遇しているとか、そういう事ではないよね。
踏み台2個あれば、他の人と同じように塀の向こうが見えるんだから。
頚損の友人から障害者差別解消法施行のパレードのお知らせがきました。
多くの人にこの法律の意義を知ってもらうために、全国色々な地域でパレードが計画されています。
東京では3月31日(木)に実施されます。
場所は日比谷公園西幸門,14時集合14時30分パレードスタートだそうです。
詳しくはこちら
祝!障害者差別解消法施行 院内集会とパレードを開催します! | JIL
呼びかけ動画です。
3月31日(木)は東京に集まろう!!差別解消法の施行を祝うパレード実施!
この日は仕事があるので、どうなるかわからないけど、2時に仕事が終わってからダッシュで駆けつけるつもりです。
ダッシュって、できるもんならやってみろと言われそうですが、やってみましょう。
ただいい加減、杖を手に入れなきゃ行けませんよね。
多分このパレード、車椅子の方もたくさん参加されると思います。
私の見た目は健常者なので・・・
人がいっぱいの中を歩くのは怖いです。
杖を持って、私も歩くの危ないアピールをしないと参加は無理だよな。
娘の杖を持たないでほしいという思いがあるので、とってもデリケートな問題だけど、折り畳み式のものを買っておくしかないな。
そのパレードの時だけ使えばいいか。