全力疾走と午前4時

進行性の神経難病になり8年目くらいだったはず。先祖の戸籍を取ったり、気になる土地の歴史を調べています。

私をすくいあげてくれたのは、重度障害者の先輩

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昨日は朝起きてみたら、大きなニュース。
他人事ではない、大きなニュース。
出勤前に速報として入ってきたのは「障害者は殺せ」といったニュアンスの動機。
?です。


普段は楽しいはずの仕事中も、頭から離れない。
一日中嫌な感じ。


大昔、ナチスがやった障害者の迫害を思い出した。
迫害というか、大量虐殺です。


なぜ、障害者を殺すという発想ができるのか。
私にはわからない。


今回の津久井の事件の容疑者は、被害者の家族に対しては申し訳ないと思っているらしい。
突然のお別れないなってしまい、申し訳ないと。


被害者に対しては、なし。
突然殺されることになって申し訳ないとかないのか。
ないらしい。


この人から見たら、障害者は生きている価値が無いらしい。
どうして。


なんだか書きたいことはいっぱいある。
けれど悔しすぎて、思考がストップしてしまってる。


まだまだ新米障害者の私だけど、こんなに悔しい思いをするなんて。
なりたて障害者の私としては、特に言いたいことがある。

障害者に価値がない。
重度の障害者に価値がない。
生きる価値がない。
そんなことあるわけない。


この病気になって、それなりに衝撃を受けた私を救い上げてくれたのは、紛れもない重度障害者の先輩だ。
胸から下が動かない、24時間の介助が必要な重度の障害を持っている人。
その人が私を支えてくれたんだから。
手も足も動かないけど、スーパーマンみたいな人だ。


その人は重度の障害者のために働いている。
きっとたくさんの重度障害者と、その家族を救ってきたはず。
もの凄くたくさんの人の役に立ってきた人。


脊髄小脳変性症の診断を受けたことは、私の人生の中で一番の大事件だ。
その時に助けてくれた人なんだから、私にとってはほとんど神様も同然。


なんだか話が全然まとまらないけど、障害者に生きる価値がないなんて、おかしな考え。
ほんとにまとまらない。