全力疾走と午前4時

進行性の神経難病になり8年目くらいだったはず。先祖の戸籍を取ったり、気になる土地の歴史を調べています。

教会が私を選んだ

記事内に商品プロモーションを含む場合があります。

私が通う教会の牧師先生が素晴らしい。

教会に行こうと思ったきっかけ、ベタだけど病気のことを最初に話しました。

進行性で治療法のない難病、それを聞くと大抵の人の反応は同じ。

気を落とさないようにねと、励ましてくれる。

希望を持ってというようなことを言う。

いちばん多いのは、医学の進歩は凄いから

そして誰もが諦めないで、と言います。




うるさ~い!





黙れ黙れ黙れー!





ブラックわらさとの登場です。

ありがとうとは言ってるけれど、うるせーよとも思っています。

ああ、話が逸れていってしまう。

大抵の場合はそういう反応が返ってくるのに、牧師先生は全然違う。

全然違うんです。

希望を持ちましょう、みたいなことは絶対に言いません。

ただただ私の今の気持ちを聞いてくれます。

それだけです。

多分人って、大変なことになってしまった人に対して、励まさなきゃいけないという思い込みがあるんじゃないかと思います。

励ましたいという純粋な気持ちだけではなく、優しい言葉をかける自分でありたいという自己満足的な思い、そんなものも少なからずあるんじゃないかと思います。

でも、牧師先生は希望があるようなことを私に言わない。

治ることのない私をよしとしてくれる。

私は今の教会と出会えて本当によかったと思います。

聖書の言葉を借りれば、私があの教会を選んだのではなく、教会が私を選んだということみたいです。

キリスト教、なんだそれ?という人にとっては、意味の分からない話かもしれないけれど、私はあの教会に導かれて本当によかったと思っています。