最近楽しくて仕方がない読書。
借りていた遠藤周作の本を返しに図書館へ行った時、児童書コーナーでたまたま見かけた「最後の授業」。
直感で読みたい!と思いすぐに貸し出しカウンターへ持っていき、借りてきました。
急いでいたこともあって、借りたのはその1冊だけ。
「最後の授業」、タイトルになんとなく懐かしさを感じて手に取ってみたところ、本の中にアルザスとかロレーヌ地方と言った単語を見付けました。
その瞬間に懐かしさの理由が分かったのですよ。
そうだ、国語の教科書に載っていたお話だよなと。
小学校だったのか、中学校だったのか?
私が使っていた教科書は光村図書だったので、ホームぺージを見てみたらちゃんと分かりました。
過去の教科書とその内容が、昭和46年の分から全て載っていました。
凄い凄い!
教科書のデザインまで載っていて、懐かしさ爆発といったところでしょうか。(笑)
だってですよ、「最後の授業」だけでなく「やまなし」とか「石うすのうた」とかタイトルを読んだだけで小学6年生にタイムスリップですよ。
娘の高校受験をきっかけに、中学の国語の教科書も読んでみましたが、楽しいんですよ、想像以上に。
国語の教科書ってこんなに内容濃かったんだと、こんな歳になって初めて気付きました。
ちなみに娘の中学の教科書、私が貰ったんですけどね。
こっちもたまに読んでいます。
で、話を戻して「最後の授業」のことですが、わずか12ページほどの短編で、主人公が遅れて学校に行き、お昼に授業が終わるまでの数時間の出来事を書いたものです。
戦争によりフランスの領土になったりドイツの領土になったりを繰り返していた地域の学校のお話で、今まさにフランスからドイツの領土になるという時の、最後の日の学校での出来事を書いたものです。
こんな解釈で大体合っているでしょうか?
小学生の私が歴史的背景をどこまで分かっていたのか?自信はありません。
先生も説明はしてくれた気もしますが、そんなに理解はしていなかったと思います。
確か、「今日まで日本語で受けていた授業が明日から全て英語になったらみんなはどう思う?」みたいなことを先生が言っていた記憶があります。
そんなこと言われたって、イメージできないよという感想を持ったはずですが、大人になって読んでみると当たり前ですが視点が全然違う。
子どもの立場で読んだ「最後の授業」、大人になった私は、40年間教えていた学校を去らなければいけなくなった先生の気持ちばかり考えていました。
そして最後の授業で先生が話した自国の言葉を守りなさい、忘れないようにしなさいという言葉。
なぜなら、民族がどれいになったとき、国語さえしっかり守っていれば、じぶんたちの牢獄のかぎをにぎっているようなものなのだから・・・。
まだ作っていませんが、これから作る読書記録ノートに書き込むとすれば、きっとこの文章です。
民族が奴隷になる、平成の時代に生きる私には非現実的なことですが、自分たちのオリジナルの言語を守ることは大昔からとても大事なことだったのだろうと思いました。
~ここから追記~
・・・が、これを書いた後に「最後の授業」についてネット上ではありますが、ちょっと調べてみました。
いろんなことが書いてあって、ますます興味を持ってしまった。(笑)
もう少し調べてみようっと!