ここ1〜2年、スマホの写真を見ていて思うことがあります。
結構大量にある写真達。
多分私にしか分からない特徴があります。
それを考える時、かなりの痛みを心に感じます。
脊髄小脳変性症の診断を受けてからの私は、料理をした時に写真を撮るようになりました。
出来に関係なくスマホでパシャパシャと。
いろんなことが出来なくなっていく病気だからか。
できた記念に、作れていたことを残したくて、気付いたらパシャパシャやっていました。
本当につまらない料理であってもです。
お味噌汁だけの写真もあります。
撮りためていこうと決めたわけではありませんが、見返してみるとそればっかり。
餃子はかなり早い段階で作れなくなりました。
他にも、今では作れないものも沢山ある。
多分最初は、これを作るのは最後になるかもしれないと思ったときにパシャリとやっていたんだと思います。
それが一期一会じゃないけど、料理の度に『これが最後かも』と思うようになったんだろうなと。
そう思ったら、当然パシャリ。
気付いたら、料理の写真ばかりになっていた。
で、スマホはパンパン。
それでいいことを思いついた!
何年か前に私もInstagramを始めてみました。
が、途中からザ!放置!
丁度いいので、そこに写真を入れていこうかと思っています。
といっても、Instagramというサービスがいつまで続くか分からないので、オリジナルも自分でとっておく必要はあると思いますが。
何せ、今日という日は戻らないんですよ。
これは健常者も同じ。
時間は止まることなく、流れ続けていくもんです。
こんなことを書いていて気付いてしまった。
時間のせいでしょうか。(只今、午前4時)
当たり前のことなのに。
私は今日も作れた!という安心感とその事実を残したくて写真を撮るようになったけど、それだけじゃないと今気付きました。
今日もできた!という喜びと、いつかそれを手放す時がくるというのは、料理に限ったことじゃないんだなぁ。
これを読んでいる人は意味わからないよ⁇となっているかもしれません。
ごめんなさい。
自分で凄く納得してしまったので、なんだか気分がいいです。
なのでもう寝ようと思いますね。
午前4時を過ぎました。(笑)
朝起きて夜寝るまで、全てのことにこれが最後になるかも、と心を込めること。
これが大事だな。