全力疾走と午前4時

進行性の神経難病になり8年目くらいだったはず。先祖の戸籍を取ったり、気になる土地の歴史を調べています。

難病になると神にすがりたくなるのか

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相変わらず、ご先祖さまのことを調べるのは楽しいです。
先日、祖母の姉がどうやらクリスチャンだったらしいことが分かりました。
その人は明治の生まれで、関東大震災の頃に初めての子どもを出産しています。

私はクリスチャンで、その人が住んでいた場所も私の住所と近い。
『行ったとしたらどこの教会だろう』自然にそんなことを考えました。
この地で100年前からあった教会。
調べたら結構あった。
あの教会かなぁ?
この教会かなぁ?と、そんなことを考えるのは楽しい。
それと同時に自分と血の繋がりがある人が、クリスチャンだったらしいというのはなんとも言えない。
身体が暖かくなるような不思議な感じがする。


私が通う教会の牧師先生が言うには、第二次世界大戦後にキリスト教に入る人がとても増えたらしい。
クリスチャンの先輩からも、同じような話を聞いたことがある。
戦争が終わったことで、昨日まで正しかったことが『間違い』に変わった。
それが大きな大きな出来事だったということです。
それがきっかけで教会に来た人が多かったと。

何が正しいことなのか。
変わらない真実はあるのか。
人が生きるとはなんなのか。

そんなことを考えて、クリスチャンになる人が増えたと聞きました。
その話を聞きながら、涙が出てきちゃいました。
私のように難病の診断を受けた後にクリスチャンになる。
心が弱いとか、神にすがりたいんだとか言われることもあります。
(あ、面と向かっては言われてないんで大丈夫です。)

違うんだけど、そう言われちゃうのは仕方ないと思ったりします。
心が弱いことに関しては『その通り!』だし。

でもその話を聞いて、心が楽になりました。
私は難病になったことで、生まれたこと、病気になったこと、生きていくこと、そんなことばかりを考えるようになりました。
身体の自由を失いながらも生きる意味はあるのか、それを考え悩み続けることが信仰を持つことに繋がったんだろうと考えます。
病気になったり人生の途中で大変なことが起きた人がクリスチャンになる、実はよくあるみたいです。
でも神にすがりたくて、教会に行くわけではないのです。
人生とは、命とは真理とは、そんなことを考えるようになった結果、必然的にクリスチャンになっちゃったということなのだ!
私もそういうわけでクリスチャンになっちゃったんです!
少しスッキリした。