全力疾走と午前4時

進行性の神経難病になり8年目くらいだったはず。先祖の戸籍を取ったり、気になる土地の歴史を調べています。

見つけた親戚を訪ねるかどうするか

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戸籍沼にはまってまだ2ヵ月

近所に住んでいることが判明した親戚の話で、あれだけ興奮していましたが、ちょっと疲れてしまいましあ。
よく考えたら戸籍を取り始めてから、まだ2ヶ月しか経っていなかったんです。
7月8月と怒涛の展開でした。

私から4代上の先祖の兄弟がハワイへ移民として渡っていて、その子孫と私が繋がった。
思いがけずメールのやりとりが始まりました。
すごく楽しかったです。
自分と同じ先祖を持つ人が海外にいるなんて。
大きな驚きです。
苦痛でしょうがなかった英語もとても楽しい。
自動翻訳を使わなくても、アニーからのメールを読めるようになりたいと思い毎日勉強しています。
先祖探しと英語の勉強、どちらも楽しいです。

この2ヶ月間は知らず知らずのうちに、全力疾走していたようです。
いろいろなことが次々に判明して、遂に私の行動エリアに親戚がいるという事実に突き当たりました。
今までのスピード感で、すぐにでもその方を訪ねてみたい!
昨日はそう考えてしまいました。
自由に単独で外出できないことを歯痒く思いました。
だって近いんだもん、すぐそこなんだもん、っと。
私、本当はものすごくフットワークが軽いのです。
健康だったら、どう考えても昨日のうちに行ったでしょう。

でも行けない身体でよかったです。
一呼吸して考えたら、世の中は先祖のことに興味がある人ばかりではないのです。
というより、興味がある人は少ないのです。

人生の痛みがギュッと詰まっているのが戸籍

江戸時代後期や明治時代初期の戸籍は、『どうしてそんなこと!』とか『酷すぎないかい?』と言いたくなるような人間ドラマが沢山書いてあります。 
(今はもうない昼ドラのような出来事が。)
人が生きるというのは、痛みが伴うものだと教えてくれているのが戸籍です。
その痛みも100年以上前のものなら、私ひとりで感じ自己完結てきます。
でも、今生きている人と戸籍をきっかけに繋がるということは、様々な危険を孕んでいると思うのです。
その人の話題は聞きたくないとか、思い出したくない過去の出来事に触れてしまうかもしれないと思うのです。

血の繋がりがあったとしても、付き合いが何代かに渡って無いんだとしたら、そういうことなんだと思います。
既に他人なのです。
あの人もこの人も、20代30代と遡る間にどこかで繋がっているのだと思います。
人類皆兄弟は正しいんでしょう。

だから今回親戚を訪ねることは先送りにしようと思っています。
少しクールダウンする時間が必要かなと思っています。
でも何もしないということもないと思います。
キャリアは浅くても、戸籍沼先祖沼の住人です。
『やっぱり行ってきた!』と来週辺り、ブログに書いているかもしれません。(笑)
その時はしょうもない人だと、呆れてください。