人が亡くなったり、大変な病気になったり。
そういう情報に触れるだけで、心がグラグラします。
亡くなったとか、病気になったとか、そのこと自体には私の心を揺らす要素はそれほどなくて。
当事者以外の言葉に、心が影響を受けてしまいます。
今だったらこういうの。
「絶対によくなると信じています。」
「治療に専念して、一日も早く元気な姿を見せてほしい。」
もうダメで。
心がどうにかなりそうで。
偏見だとは思うけれど、健康な人だったり闘病の経験が無い人が言ってる場合はなおキツイ。
偏見ですよ、偏見。
でも心がざわつくな~
特に進行性の神経難病患者にはキツイ。
治療とは無縁の私達に『治療』って言葉は辛い。
特に『専念』って言葉の破壊力は半端ない。
ツイッターでは治療法のない難病の人達がこう呟いていました。
『治療方法があるだけ、そこにだけ羨ましさを感じてしまう。』
うん、うん、分かる。
分かるけど人を傷つけちゃう言葉だ。
なんで羨ましいと感じてしまうのか?
それは仲間外れ感なんだよねー。
私は自分が難病になるまで、難病がなんなのか知らなかった。
治すのが難しいがんや白血病のことを『難病』というんだと思ってました。
でも実際にはそうじゃなくて、治す方法が分からない闘病とは無縁な病気が『難病』なんだとわかった。
どうせなるならあの病気の方がよかったな、とかダメダメ。
診断つくと同時に治療スタートになる病気も、診断ついたけど治療方法ありませんと言われる病気も、受け入れるしかないよね。
そしてそばにいる人は寄り添うしかない。