全力疾走と午前4時

進行性の神経難病になり8年目くらいだったはず。先祖の戸籍を取ったり、気になる土地の歴史を調べています。

誰でも知らないことだらけ

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岐阜の病院でクーラー故障、入院患者が亡くなったというニュースを見ました。

その病院の院長のインタビュー。

どこかの記者が亡くなった患者さんについてこんなことを聞いている。

クーラーが壊れる前までの容体は?意識はあったのか?など。




まあ、亡くなったこととクーラーの故障が関係あるかが聞きたいのは分かるんだけど・・・

私は高齢の方が亡くなっていく状態を、1週間とか1ヵ月のスパンで、おまけに近くで見たことなんてないです。

高齢者が亡くなる時に、意識がなくなっていくということが、どの時点で起きるのか、それがどういうことなのか、知らないんだからよくわからない。

多分記者もそうだと思います。

きっと一般常識として、意識のあるなしが大事だと思ってるんだろうなと感じました。




もしかしたら記者の発想は正しいのかもしれないけど、私は自分の病気と障害を通して常識だと思っていたことが正しいとは限らないと知りました。


私はゆっくりな速度では歩けない。


でも健常者と同じ速度でならスタスタ歩ける。



多分これは大多数の人が「?」と思うでしょう。



杖をついている

  ↓

足が悪い

  ↓

早く歩けない

  ↓ 

ゆっくりでしか歩けない


こう考えている人が大多数だと思います。

でも私は当てはまらない。

私の場合は足も悪いけど平衡感覚のほうがもっと悪い。

だから速度を出してバランスを取っているのです。

速度が落ちると、バランスを崩します。

一緒に歩く人が私に気を遣って、ゆっくりと歩いてくれることがあります。

かなり怖いです。

そういう時はある程度速度があるほうが歩きやすいことを説明します。

そいう言ってもピンとこないようだと「自転車と同じで速度が出ないと倒れる」と簡単に説明を。

そうすると、なるほどねとほぼ全員が理解してくれます。



こんな感じで、杖をついている人は早く歩けないはずという思い込みはただの思い込みであって、どんな人にも当てはまるわけではないということ。


こんな経験から、どんな世界にも外から見た人の思い込みってあるだろうなと思うようになりました。

「そう思うかもしれないけど実際は逆なんだよね」ということがよくあるんじゃないかと。

だから今回のクーラーが故障した病院の話も、良く調べてほしいと思います。

人生の最期をあの暑さの中で迎えたなんて、お気の毒すぎます。