全力疾走と午前4時

進行性の神経難病になり8年目くらいだったはず。先祖の戸籍を取ったり、気になる土地の歴史を調べています。

ヘルプマークがいらない社会

記事内に商品プロモーションを含む場合があります。

いつものあれです、数日空くとブログの書き方が分からなくなるというあれ。

でも、一昨日避難のことについて少し書いたんだった。

連日豪雨被害の報道ばかり見ていると、考えることはどうしてもそういうことばかり。

私のような見た目で分からない障害者は辛いぞ、ということ。

昨日はNHKのあさイチでもヘルプマークを取り上げていたし。

私もチラッと見たけど、終わりの方で「生理痛が酷くて辛い時にもヘルプマークは使っていいのか?」というFAXか何かに「どうぞどうぞ」みたいなことを言っていたなぁ。

そんなこと言ったら誰にだって辛い時、体調の悪い時はあるわけで、誰もがヘルプマークOKになってしまう。

でも、それってある意味正解だと思った。

誰でもヘルプマークOKっていうところがね。

だって本当にみんな生身の人間なんだから、いろんなことがあって当然。

辛い時は辛いんだから。

失敗もするしね。



失敗で思い出した、タイの洞窟の話。

25歳のコーチという大人がついていてああいうことになった。

もしも日本で起きていたなら、大変なことになったはず。

自己責任論の嵐で、救出された後だってなかなか普通の暮らしには戻れないだろうな。

タイの少年たちもある意味、すぐには普通の生活には戻れないだろうけど、日本とは違うと思う。

日本だったらなかなか許してもらえないでしょう。

この違いはなんなんでしょうね?

誰だって判断ミスをするし、元気に会社に行ったけど帰りには立っていられないほど具合が悪くなることがある。




日本はなんでこんなに厳しいんだろう。

あの人はズルをしているんじゃないか、とか。

日本って苦労を美徳とする風潮があって、合理的なものをなかなか受け入れられない人がいたりする。

こうやった方がいろいろ楽だし早いし、みたいなことでも手間をかけて面倒でも従来のやり方でやれっ、みたいな。

例えば出産の時の陣痛。ちょっと違うけど。

あれを経験しないと一人前の母親になれないとか。

も少しズレると、帝王切開を楽な出産だとかおかしなことを言い出す人。

自分が味わった痛みを感じずに出産できる人がずるいってなことなのか。

あぁ、最初に書いていた内容と随分ズレてきた気がするけど、人が楽するのが許せないという日本の社会にありがちな無意識の感情が嫌だ。




もう何を言っているのか分からなくなってきたけど、優先席に誰が座っていたっていいじゃないか。

白杖を持った人に席を譲らない人がいたっていいじゃないか。

譲れないから譲れないんだよ。

人間いっぱいいるんだし、他の誰かが譲ればいいじゃないか。

できる人がやればいい。

そうしてくれないと、見た目で分からない困難を抱える人は外に出られない。



なんで白杖を持った人云々言い出したかというと、私が杖を持つきっかけになったのがそれだから。

電車で優先席に座る私の目の前に、白杖を持った人と介助者が立ったわけだ。

その頃の私はまだ杖を持っていなくて、見た目には健康そのものの若い人。(笑)

いくつかの荷物を持っていた私は、走り出した電車内で立ち上がることができない。

下を向いて困っているしかできなくて、周りの人が「こっちにどうぞ」ってな感じで席を譲ったんだった。

そしてその場にいたオジサンが、意地でも席を立たない(ように見えた)私を笑った。

声に出して笑われた。

あの侮蔑に満ちた笑い声が忘れられない。



通常、白杖持った人が目の前に来たら、席を譲らないことってあるか?

無いと思うよ、譲る人が大半だと思うんだよね。

そこで譲れないってことは譲れないんだ。

許しあえる社会になったらヘルプマークなんていらないよね。



支離滅裂ですみません。