ひとつ前の記事で書いた言葉、自分の命を最大限に生きる、このことについて昨日からずっと考えています。
私にはインスタグラムで知り合って、ちょうど1年になる友人がいます。
たまたま通っている大学病院が同じで、通院の曜日も同じ。
抗がん剤治療中の彼女は毎週のように通院、私は2ヵ月に1度の通院。
ひょんなことからそれが判って、以来ずっと私の通院日の際に二人でランチをしていました。
一度、病院以外で会ったこともありました。
映画を見に行き、ランチをしたんだった。
二人共、年齢に不釣り合いな杖をついて歩いてね。
実際に会ったのは5回か6回か。
そんな感じだしネットでの出会いだし。
友人と言っていいのかわからないくらいだけど、私にとっては大事な人です。
本来なら仲良くなるまでにするような会話はほぼしていません。
いきなり核心部分について、あーでもないこーでもないと話していました。
そんな彼女が、病院を変えることに。
私達の通う大学病院には、緩和ケア外来というものがないから。
だから、それがある病院に変えるそうです。
彼女と私は病気が違うから、基本的には違う苦しみがあります。
その部分においては相手の気持ちを聞くだけにするんですが、前回会った時は同じことで泣いたんだった。
将来、娘の出産子育てを手伝ってあげたかった、という、どうにもならないことで。
そうだね、そうだね、「赤ちゃん見てるから、その間に寝な。」とか言ってあげたかったよねと。
私の場合はそこに至るかどうかさえ、とても難しいことなんですがね。
やっぱり、娘が母親になったら手伝ってあげたかったよねと、私達にはどうにもできないことでドバッと涙が出てきてしまって。
いちばん辛いことが、おんなじでした。
そんな彼女に会えなくなる。
私にとって通院とは、次の予約日を決めるだけのもの。
ほんとに次の約束をするために、わざわざ先生に会いに行ってるわけです。
先生は病気を治す人ではなく、ただ私の症状を聞きパソコンに打ち込んでいくだけの人。
私が「こんな症状が出てきました。」と言えば「そうですね、そういう症状は出ます。」と言うだけ。(笑)
正直、一般的な患者と主治医の関係とは全然違います。
何かの申請に必要な書類を書いてくれる人、ただそれだけの人ですね。
それだけの為にわざわざ病院まで行くのは本当に嫌なんですが、インスタで出会った彼女に会えるのは楽しみで。
お互い移動が大変なので、いつも病院内のレストランでいっぱい話して楽しかった!
でも次回から会えないのか。
行きたくない病院に行けてたのは、彼女に会う楽しみがあったからなのに。
次回は来月なんだけど、果たして私は行けるんだろうか?
この1年間、私達の会話の核心は結局「どう生きるか」だったような気がします。
それ以外にはなかったような気がする。
前回会った時の話題もやっぱりそれ。
で、この先のQOLを考えた結果、抗がん剤治療を終わりにすることにしたのかな。
それを聞いた日に、テレビで流れた「自分の命を最大限に生きる」という言葉。
常に覚悟の中にいる彼女と、その言葉がどうしても重なっちゃいます。
私も勿論、毎日覚悟して生きてるわけなんだけど。
彼女だけじゃなく、私が病気になってから出会った人はみんな、実行してるのよね。
みんなみんな、自分の命を最大限に生きてる真っ最中。
最大限ということは、嫌な病院もきちんと通わなきゃならんよな。うん。