全力疾走と午前4時

進行性の神経難病になり8年目くらいだったはず。先祖の戸籍を取ったり、気になる土地の歴史を調べています。

彼女のQOL

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ひとつ前の記事で書いた言葉、自分の命を最大限に生きる、このことについて昨日からずっと考えています。

私にはインスタグラムで知り合って、ちょうど1年になる友人がいます。

たまたま通っている大学病院が同じで、通院の曜日も同じ。

抗がん剤治療中の彼女は毎週のように通院、私は2ヵ月に1度の通院。

ひょんなことからそれが判って、以来ずっと私の通院日の際に二人でランチをしていました。

一度、病院以外で会ったこともありました。

映画を見に行き、ランチをしたんだった。

二人共、年齢に不釣り合いな杖をついて歩いてね。




実際に会ったのは5回か6回か。

そんな感じだしネットでの出会いだし。

友人と言っていいのかわからないくらいだけど、私にとっては大事な人です。

本来なら仲良くなるまでにするような会話はほぼしていません。

いきなり核心部分について、あーでもないこーでもないと話していました。




そんな彼女が、病院を変えることに。

私達の通う大学病院には、緩和ケア外来というものがないから。

だから、それがある病院に変えるそうです。




彼女と私は病気が違うから、基本的には違う苦しみがあります。

その部分においては相手の気持ちを聞くだけにするんですが、前回会った時は同じことで泣いたんだった。


将来、娘の出産子育てを手伝ってあげたかった、という、どうにもならないことで。


そうだね、そうだね、「赤ちゃん見てるから、その間に寝な。」とか言ってあげたかったよねと。

私の場合はそこに至るかどうかさえ、とても難しいことなんですがね。

やっぱり、娘が母親になったら手伝ってあげたかったよねと、私達にはどうにもできないことでドバッと涙が出てきてしまって。

いちばん辛いことが、おんなじでした。





そんな彼女に会えなくなる。

私にとって通院とは、次の予約日を決めるだけのもの。

ほんとに次の約束をするために、わざわざ先生に会いに行ってるわけです。

先生は病気を治す人ではなく、ただ私の症状を聞きパソコンに打ち込んでいくだけの人。

私が「こんな症状が出てきました。」と言えば「そうですね、そういう症状は出ます。」と言うだけ。(笑)




正直、一般的な患者と主治医の関係とは全然違います。

何かの申請に必要な書類を書いてくれる人、ただそれだけの人ですね。

それだけの為にわざわざ病院まで行くのは本当に嫌なんですが、インスタで出会った彼女に会えるのは楽しみで。

お互い移動が大変なので、いつも病院内のレストランでいっぱい話して楽しかった!

でも次回から会えないのか。

行きたくない病院に行けてたのは、彼女に会う楽しみがあったからなのに。

次回は来月なんだけど、果たして私は行けるんだろうか?




この1年間、私達の会話の核心は結局「どう生きるか」だったような気がします。

それ以外にはなかったような気がする。

前回会った時の話題もやっぱりそれ。

で、この先のQOLを考えた結果、抗がん剤治療を終わりにすることにしたのかな。

それを聞いた日に、テレビで流れた「自分の命を最大限に生きる」という言葉。

常に覚悟の中にいる彼女と、その言葉がどうしても重なっちゃいます。

私も勿論、毎日覚悟して生きてるわけなんだけど。

彼女だけじゃなく、私が病気になってから出会った人はみんな、実行してるのよね。

みんなみんな、自分の命を最大限に生きてる真っ最中。

最大限ということは、嫌な病院もきちんと通わなきゃならんよな。うん。