全力疾走と午前4時

進行性の神経難病になり8年目くらいだったはず。先祖の戸籍を取ったり、気になる土地の歴史を調べています。

またひとつ、静かに手放した

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子どもの手が離れたら・・・


いつかやってみたいと思っていたことがあります。

笑わないで読んでくださいね。

笑うようなものでもないか。

それは歌うこと。

中学生の時に合唱コンクールってあるじゃないですか、あれでハマりました。

いつか子どもの手が離れたら、地域のママさんコーラスに入りたいなと。

そう思って、そろそろそんなことができそうだってとこまできて、この病気です。

そういうのってどこかで発表会があったりしたら、きっと階段状になった場所で歌ったりするんですよね。

そりゃ無理です。



私が見つけた意外な場所


病気になって、色々なものを諦めたけど、新たに手に入れたものもあります。

仕事も辞めて、行く場所がなくなった頃、教会という居場所を見つけました。

2回目に行った時だったか、「明日、讃美歌集会があるからいらっしゃい。」と言われたんだった。

讃美歌なんていつくしみ深きしか知らなかったけど、素直に参加しました。

そのままずっと、月一回の讃美歌集会に参加してきました。


楽譜が読めない

一年ほど楽しく通っていたんですが、段々と讃美歌集が見えづらくなってきて、いよいよ無理だという状態になってきました。

そらで歌える讃美歌は少なく、というより讃美歌の数が多すぎるという理由だな。

楽譜の中の音符と歌詞を見ながら歌う、それが難しくて難しくて。

わずかではあっても、歌うスピードに合わせての視線移動、これは目が回ります。

文章で説明するのは難しく、その他にも私の目の状態ではもう無理だな~ということになりました。


いつどうやって諦めようか

歌を歌いながら譜面を見ること、これが難しくなってきたのは去年の夏頃。

そろそろ無理だと思いながらもそこから半年、讃美歌の集会に参加し続けてしまいました。

11月になるとクリスマスの歌をたくさん歌うので、それが終わったら卒業しようと思っていました。



楽しい時間をありがとう!


で、どうやって卒業するか、考えました。

一年以上、毎月参加していた集会です。

顔ぶれはいつも大体同じ。

毎回参加していた私が急に行かなくなったら、理由を聞かれるだろうと思います。

聞かれたらなんと答えようか。

あまりきちんと説明したら、私でも参加できるようにとあれこれ考えさせてしまうかもしれなく・・・

考えてもらっても、私がこの身体で生きている以上、どうしようもないことなので。

あれこれ考えているうちに、今月の讃美歌集会は過ぎてしまったので、このまま静かにしていようかと思っています。

まあ、行かなかったんですけどね、今年最初の集会は。

静かに静かに、手放しました。

この病気のいいところは、いろんなものを取り上げられる前に覚悟する猶予があることだな・・・。

そこは恵まれてるなと。