全力疾走と午前4時

進行性の神経難病になり8年目くらいだったはず。先祖の戸籍を取ったり、気になる土地の歴史を調べています。

お立ちいただける方は、お立ちください

記事内に商品プロモーションを含む場合があります。

今日の内容も、昨日みたいなものです。

見た目には分かりづらい不便さについて。




ブログにも書いていますが、私は毎週日曜日、教会に通っています。

午前中に1時間ほどの礼拝があります。

その中で、聖書を読んだり、讃美歌を歌ったり。

聖書を読むというのも、やや難ありです。

自宅にある私の聖書は、中型版っていうんだろうか?やや大きめサイズで、文字も大きめ。

私でも読める。

でも教会に備え付けられている聖書は、小型版なので当然字も小さい。

結構読みづらい。

その教会は高齢の方が多いので、自分の聖書を持ってこないで、教会のものを使う方が多いんです。

教会にある聖書はほとんどが小型版で、中型版は数が限られます。

ちゃんと読むには中型版がいいんだけど、私の他にも小型版じゃ読めない人もいるだろうと、いつも小型版を借りている私です。



でも聖書はまだそんなに困っていない。

困っているのは、賛美歌。

これは困る。

一回の礼拝の中で、大体5曲くらいの賛美歌を歌います。

その度に「お立ちいただける方は、お立ちください。」と司会者がアナウンスします。

教会に行き始めた頃は、その度に立っていたんですが、病気の進行とともにやめました。

今はもう座ったままで、歌います。

座って歌う、それで解決なんだけれど、自分の中ではなにかモヤモヤ。

教会にはすっごく高齢の方、足に障害のある方、いろいろな方がいます。

立って歌えないほどの障害を持っている方もいますが、立てる限りは立つんです皆さん。

だから私のこと、なんで立てないの?と思ってるんだろうなと思って、心の中で立てない理由を言い訳したりしてます。

それが毎回なので、自分でもうっとおしい!(笑)

誰も何も思ってないかもしれないのによー。




周りに脊髄小脳変性症の人がいて、立ち話はできるのに、賛美歌は立って歌えない人がいて不思議なのよね~と言う人は、参考にしてください。(笑)


私の場合、最近教会に通い始めたばかりなので、ほとんどの賛美歌を知りません。

毎回初めて歌う讃美歌ばっかりです。

賛美歌集を見て歌んですが、私の目では音符と歌詞を追う作業がかなり難しくなっています。

視線をサッと動かすと眼振やら複視やらで、譜面の中は常にとっ散らかっております。ほんとに凄いんだから!

それをホンキ出して見ている時点で、立っていられません。

普段立っている時は、意識してバランスをとっているんだけど、この目の前の賛美歌集に必死になっている時は、そのバランスがとれません。

結果、不意にバランスを崩し→転倒、これを防ぐために私は座って歌うんです。




最近では私の病気の症状なんかを人に説明することも上手になったけれど、全部は伝わらないよな。

バランスがとれなくて、手の動きの微調整ができない、目がちゃんと見えない。

このくらいは説明するけど、それ全部組み合わせたって、私の行動に理解できない点が出てくるのはしょうがない。

ああ、「立ち話はできるのに、なんで賛美歌の時は立てないの?」、まだ誰にも聞かれてないけど、そう思っている人もいるだろうなと思うと、モヤモヤ。

気にしなきゃいいのよね、きっと。