一体何日、ブログを更新していないんだろう?
この一週間、毎日いろんなことが起きて、心が大忙しです。
一番大きな出来事は、ある人が亡くなったこと。
最近はインスタグラムばかりやっていて、綺麗なお部屋系アカウント、家計管理アカウント、ファッションコーデアカウント、そしてそして闘病アカウント。
そんなところばかり覗いています。
実際にコメントのやりとりをするのは、当然といえば当然の闘病アカウント。
どうしてもね、がん患者さんが多いです。
しかもがんの人は、同病でもない私のことを相手にしてくれるんです。
ほんと、ありがたい。
あとは全身性エリテマトーデス、脊髄損傷、脳性まひの人も多いかな?
脊髄小脳変性症の人は滅多にいません。
そんな感じで知り合った女の子が、数日前に亡くなりました。
インスタグラムにはLIVE配信という機能がついていて、自分のスマホから映像と音声を生で流すことができます。
映像音声付のチャットみたいなもんです。
春頃からそのLIVE配信でよくお話していた女の子がね・・・
余命は週単位と宣告を受けたことを教えてくれて、4月のことだったのかな。
で、数日前のの夜中、日付が変わった頃も彼女とLIVEでお話をしました。
時間が遅かったので、一対一でのお話。
またねーと言って終わったのが深夜の1時過ぎ。
翌朝(とはいってもその日の朝)には意識が無くなり、目を覚ますことなく、数時間後に彼女は亡くなったとのこと。
インスタの彼女のページに、ご家族から報告の言葉がありました。
私は彼女の顔をスマホの画面越しに知ってる。声も知ってる。
でも彼女は私の顔も名前も声も知らない。
ネットだけの関係。
関係というほどのものでもないかも。
でもこのブログもそうだけど、闘病している者同士がネット上で出会った場合、話題はいきなりサビからです。
人と人が出会って、顔見知りになって挨拶をして少しづつお互いを知る、そこをすっ飛ばしていきなりサビ!
ついでにリアルな知り合いじゃないから、他の人には話せなかったホントの本心を話したりもできる。
本心より奥にある、ホントの本心だ。
まあ、昭和の時代にはなかった人との繋がり方だよな。
そんな形で繋がっていた人が亡くなって、しかも数時間前に「またね。」と言ったばかりだったのにと、なんともいえない気持ちになりました。
もう数日経ったけど、なんとも言えない気持ちは切り替えられない。
それと同時に、自分の中に芽生えた信仰の存在を再認識することにもなりました。
彼女の死を知らせるご家族の投稿の下にずらっと並ぶ追悼の言葉。
「ご冥福」という言葉になんとなく違和感を感じ、言葉の意味を調べて納得。
ああ、もう私は信仰を持ったんだな、神様を信じているんだなと。
彼女の死によって、自分が信仰を持つようになったことを確信しました。
もう過酷な治療も痛みもないんだね。
今までよく頑張ったよね。
ありがとう、安らかに!