この聖書は私が小学3年生のときに、お年玉で買ったものです。
かれこれ30年以上前になるんですね。
近所の教会でクリスマス会があると知り、母に頼んで連れて行ってもらったのが今思うと最初の縁です。
日本的な言い方だと縁で、キリスト教的な言い方をすると神の導きなんでしょう。
そのクリスマス会が、とっても楽しかったんだと思います、多分。
そして年が明けた後も、教会に通うようになったんです。
今思うと、よく親が許してくれたなと思うんですが、きっとその3月に引っ越すことが決まっていたから、いいと言ってくれたんでしょうね。
だって引っ越したら、通えない距離だったので。
その教会で年明け最初の礼拝の時に買い求めたのが、この画像の聖書です。
辞書並みに分厚く、教科書とは全く違う紙質に興奮した記憶があります。
小学校低学年の私には、この分厚い本を持つことで大人になったような錯覚をし、とても嬉しかったんですね。
そして親の目論見通り3月まで教会に通い、その後は全くキリスト教に縁のない生活を送っていました。
でも聖書は捨てられずに持ち続け、その後30年以上私が引っ越すたび、ついてきてくれました。
そして40歳近くなった私は原因不明の体調不良、訳の分からないめまいとふらつきに悩まされます。
どんどん歩きづらくなり、気付くと夫と一緒の時には、常に腕に掴まって歩くようになっていました。
どこの病院に行っても、どこにも問題はないと言われていたけど、絶対におかしい、ただ事ではない何かが自分の身体に起こっていると確信していました。
だからなのか、その頃星野富弘さんの本「愛、深き淵より。」を読んだんです。
なぜか読みたくなって。
- 作者: 星野富弘
- 出版社/メーカー: 立風書房
- 発売日: 1981/01
- メディア: 単行本
- クリック: 1回
- この商品を含むブログ (5件) を見る
一気に読んでしまいました。
私の心に沁みる言葉がたくさん書かれていました。
この記事に書いた言葉とか。
たくさん線を引き、付箋を貼りまくりました。
でもなぜか、この本が只今行方不明です。
この家のどこかにあるはずなんだけど、どこへ行ったのか。
その中で特に印象深かった言葉があります。
患難さえも喜んでいます。それは患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。
ローマ人への手紙5章3~4節
星野富弘さんの本に出てきたこの言葉に、しばらく体が動きませんでした。
患難さえ喜んでいるって?
でもこの患難が忍耐を生み出し、そしてその忍耐が練られた品性を・・・
どんどんおかしなことになっていく身体に、将来の不安しかなかった私には衝撃的な言葉でした。
そしてこの時はこれが聖書の言葉だとは知りません。
でもずっとこの言葉が頭から離れることはありませんでした。
それが今年の秋頃、たまたま読んだ本でこれが聖書の言葉であると知りました。
そこで30年以上大事にとってあった聖書で、その言葉を探し見つけました。
まるで雷にでもあったような衝撃でした。
聖書には新改訳と新共同訳があり(ほかにもあるかも)、私が持っていたものは新改訳のほうでした。
星野さんの本に書いてある文章は、新改訳のものだったので、全く同じ文章が私の聖書に書いてありました。
今は新共同訳の聖書も持っていますが、こちらの訳より新改訳のほうが私は好きです。
だって患難が品性になり、希望に変わっていく。
なんて希望を持てることが書いてあるのか。
しかも品性はただの品性じゃなくて練られた品性だし。
私、練られた品性にひどく憧れます。
この言葉が聖書の中のものだったと知り、単純な私はもっと読みたい、聖書が読みたい!そう思うようになりました。
というかそう思うが否や、翌週には近所の教会の門を叩きました。
実際には木製の扉ですけど。(笑)
そしてあれから毎週教会に通っています。
信仰というものは私には分からないけど、聖書を読みたいという気持ちはどんどん大きくなるばかり。
なんたって2千年もの長い間、キリスト教を信じる人達が大事に伝え残してきた書物です。
ちょっとやそっとじゃ2千年も残らないはず。
だから読みたい。
私の通う教会では新共同訳聖書を使います。
だから私の持っている聖書とは少し違います。
それに古い聖書の方は文字が小さく、複視のある私が読むのは大変です。
そこで新共同訳の中型版(文字が大きく、行間も余裕がある)を買いました。
ちょうどいいナビになってくれる本も手に入れたので、これで目が見える限り読みまくります。
天気の悪い日などには複視が酷く、本が読めない日もありますが、調子がいい日にどんどん読み進めます。
普通に読めば1年ほどで読破できるようですが、私はどれくらいかかるか?
でもどんどん読みましょう。
本当に本を読むことは楽しいです。