今日はまた遺伝子検査の話です。
するかしないか、結論は出たんじゃないかと思われるかもしれませんが、スパッと答えの出るものではないですね。
答えを出した日には正解であっても、数日経てば正解ではなくなってしまう。
遺伝子のことにそもそも正解なんてないんじゃないか、と。
先日の通院日に、どうしてまた遺伝子検査の話が出たのか、思い出せません。
先生が急いでいたので(混んでるから早く次の患者さんを呼びたかったんだろう)やりとりが早く、自分でも何を話したのか、話し足りない
のか、やや緊張の中の出来事でした。
だからなんで、そんな話が出たのか、分からないんですよ。
今年の春に遺伝子検査も含めて、入院していろいろ調べましょうということで話が進みました。(結果的に検査入院はしませんでした)
その時に遺伝子検査には入院が伴うという勝手な解釈をしていました。
それに関しては、その後に色々な同病さんのブログを読むことで、必ずしも入院の必要はないと分かりました。
外来でできるのなら、ひとつだけハードルは下がるわけです。
下がったところで、私に2人の子どもがいることに変わりはないんですが。
甥っ子姪っ子も合わせて6人いますし、そちらへの影響も考えるわけですし。
合計7人の子ども達の将来に関わること、それを私の自分の病型を知りたいという思いだけで決断してもいいのか?
非常に悩ましい問題です。
このことを考え出すと、考えがいろいろな方向へ広がってしまいます。
昨日書いた差別のことです。
単純に遺伝性の病気が差別されるんではないか、もしくは差別対象になっているのではという話ではありません。
遺伝性のこの病気がなぜ私の子ども達に影響するか?
それは結婚の問題です。
私には遺伝性の病気(しかも体動かなくなる系です)は、結婚の大きな障害になるという認識があります。
これが全てです。
これが自分の中にハッキリ存在する差別なのです。
脊髄小脳変性症だと診断されたとき、私はすぐに仕事を辞めることを考えました。
それは健康な人と同じように働けない私が、みんなと同じ職場にいてはいけないという考えです。
これは最初に気付いて愕然としたことです。
この病気になって気付いたことは、自分の中にもあった差別する感情です。
これを読んでくれている人の中には、それは差別とは違うと思う人もいるかもしれません。
そうかもしれません。
どこからが差別なのか、とっても難しいです。
これを考え出すと、頭の中がぐちゃぐちゃになります。
答えが分からない。
分からないけど差別に関しては、生まれて初めて当事者意識を持って考えています。
話しは戻って、遺伝性の病気が結婚の障害になるかもしれない話。
現実問題、そんな病気になる可能性のある人と結婚しないのは、危険予測の範囲だろうと思われるかもしれません。
当たり前だし、自然なことです。
そして自分で何を言っているのか分からなくなってきました。(笑)
そろそろ、こんがらかった思考に脳が耐えられなくなりそうです。
そうすると、遺伝子検査について考えること、この時間は終わります。
結局時間をかけてじっくりと考えたいと思っても、なかなかできないのです。
自分の中の差別意識の問題と、遺伝子検査は分けて考えなよともう一人の自分は言っていたりします。
それは本当にその通り。
でもなかなか。
要は病気になったことがきっかけで、私の中にある障害者差別のようなものを見つけてしまったということなんです。
病気と生きていく中で、健康な頃の自分の差別的な考えに気付いてしまって、いちいち向き合う、それがきつい・・・
それが遺伝子検査をするかしないかの決断がぶれまくる理由かなと思います。
そうだ!
少なからず私は、障害者差別をしてたんだ。
そういうことに気付いてしまったんだ。
やっぱり差別って、意識してないからタチが悪いんだ。
だから私は今、差別についてこんなにも気になってしまうんだ。
読んでいる人には、ほぼ理解不能な内容になってしまったんではないかと思います。
申し訳ないです。
でも今日は、書くことで思考の整理ができました。
こんなことを考えるきっかけをくれた病気に感謝です。