全力疾走と午前4時

進行性の神経難病になり8年目くらいだったはず。先祖の戸籍を取ったり、気になる土地の歴史を調べています。

リベンジ!介護保険の申請

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前回のリベンジ、介護保険の申請です。

できました、申請してきましたー!


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こないだの申請がなぜ失敗に終わったのか?

これはただただ、私の認識不足です。

ケアプラザの所長さんの認識不足だろ~と言いたくなりますが、私の自覚が足りなかったからです。

自分は難病患者、珍しいことなんだという自覚ね。

この時、区役所で申請するか、近所のケアプラザで申請するか、色々考えてケアプラザを選んでしまいました。

区役所の窓口の人より、実際に介護の現場にいる人の方が話が通じるだろうという、素人判断でしたことです。

この病気になってからの手続きは、大抵嫌な思いをするというオプション付きなので、少しでもダメージを受けたくないという防御本能が働いたのです。

結果的にそれが失敗の原因になってしまいました。

実際の介護現場にいる人は、プロならではの判断基準があるみたいで、それによってバッサリと切り捨てられてしまいました。

まず聞かれたことは、



買い物はどうしてますか?





自分で行っています。



このやりとりだけで、簡単に撃沈。

普段は主に高齢者ばかりを見ているケアプラザの所長さんは、買い物に行けるということで、まだまだなんでもできるでしょうと判断したようでした。

「まだお元気そうだから」を連発され、今の状態では要支援にもならないとのことで、「歩く時に支えが必要になったら、またご相談ください」の言葉を背中に受けて建物を出ました。

やっぱり、何も通じてない。

それと同時に、歩く時支えが必要な私は、充分に介護保険の申請をできる状態なんだということも分かりました。




私は遠慮しすぎたんですかね。

40歳以上で介護保険が使えるのはたった16種類の病気だけ。

介護保険のプロなら、その16の病気の知識はあって当然だと思っていました。

最初に病名も話したので、当然脊髄小脳変性症の知識もあはずだと思い、細かい説明はしなかったんです。

しかしケアプラザの所長さんには、そんなものなかった!

どんな病気か全然分かってなかった!

凄く腹の立つことだけど、これは難病あるあるなんだ。



脊髄小脳変性症と診断を受けたばかりの頃、大学病院のソーシャルワーカーさんが、指定難病の医療費の特例(軽症高額該当)を知らなかったことで怒りまくった私。

そんな私に車椅子のIさんが言いました。




あるあるだよ。そういうのはフツ~のことだよ(笑)




言ってる意味がわかりませ~ん!

その時は本当に分かりませんでした。

でもその後の色々な手続きの中で、やっと意味が分かってきました。

どんなに珍しい病気であろうと、患者本人にとってはそれが全てです。

病気のことや制度に詳しくなります、当然です、自分が生きていく道のことですもんね。

でも結局は珍しい病気なんです。

医療関係者であっても、聞いたことがあったりなかったり、よくわからないものなのは当然です。

指定難病だけで300以上もあるんですから。

300種類の難病について、しっかり知識なんてあるわけない。

自分がかかわったことのある病気のことくらいしか分からなくても当然です。






だから何かの手続きの時、自分の状態を知ってもらう必要のある時は、きちんと説明すること。

知らない相手は悪くない、分かってもらうためには、何度でも説明をする。

このことをIさんにせっかく教えてもらっていたのに、介護保険の申請をしに行ったとき、すっかり忘れた・・・

ある程度は相手が知っているに違いない・・・

なんてバカなの私?



by カエレバ


そんな失敗を踏まえて、今度は区役所に申請に行ってきました。

こっちは拍子抜けするくらい、あっさりと申請ができてしまいました。

その場で私の住んでいる地域の保健師さんに会うこともでき、後日認定調査とは別に自宅に来てくれることにもなりました。

今回はちゃんと説明しました。

認定調査の段階で、こないだのケアプラザにも連絡が行くはずなので、あの日のやりとりも説明しておきました。

そんなこんなで、また一歩環境整備が進みました。

この環境整備、まだまだ続きそうですが、めげずに頑張ろう。




人生ってロールプレイングゲームみたいなんだな・・・

コンセント引っこ抜いて、終わりにしたくなっちゃうこともあるかもしれないけど、頑張ろう。