全力疾走と午前4時

進行性の神経難病になり8年目くらいだったはず。先祖の戸籍を取ったり、気になる土地の歴史を調べています。

最後まで歩けますように・・・

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いつかでは遅いこともある。

「いつか」について、昨日から考えています。

小林麻央さんのブログに書いてありました。

「いつか」について。



病気になって変わったことといえば、ただの日常が急にキラキラしだしたこと。

これは本当です。

自分の命が、身体がいつどうなるか分からないってことを、身をもって知ってしまったんですから。

いつかあそこに行きたいな、いつかあの人に会いたいな、そんなことを思うのなら、さっさとやっていった方がいい。

だってその「いつか」まで辿り着けるかわからないんだから。




歩けるうちに行っておきたいところが、いくつかあります。

その中のひとつが、横浜市栄区にある田谷の洞窟です。

田谷の洞窟という名前自体は、高校生の頃から知っていたんですが、実際に行ったことはありませんでした。

それが去年たまたま見たテレビで、洞窟内の様子を知り、いてもたってもいられなくなり、数日後に夫と行ってみました。

洞窟とは言ってもただの洞窟ではありません。

正式名称は定泉寺田谷山瑜伽洞と言い、真言密教の修業場です。

鎌倉時代から江戸時代にかけて、修行僧が掘ったものなのです。

総延長は約1キロ、今実際に公開されている部分は250メートルほどです。

内部の壁面にはたくさんの仏様が彫られており、所々にドーム型の天井がある空間もあります。

ドーム型の天井にはとてもきれいな梵字が彫られていたりします。




結構狭くて、足元もでこぼこしています。

内部は薄暗く、ろうそくの明かりで照らしながら進むのです。

1年前に行った時でも、私にはかなり危険な場所でした。

鎌倉時代の修行僧が掘ったノミの跡が残る壁を、手で伝って歩きました。

そしてその先で見た、壁に掘られた弘法大師の像、これがたまらなく神秘的だったのです。

外の音が一切聞こえない、深い深い洞窟の奥です。

目を閉じて手を合わせると、広い宇宙にたった1人で浮いているような錯覚を覚えます。

その宇宙のような静寂の中で、弘法大師と一対一で向き合っている感覚。

涙が出るような不思議な感じでした。

その感覚がまた味わいたくて、弘法大師にまた会いたくて、もう1回行こうと思っていました。




それが今日やっと叶えられました。

そんな大袈裟な事でもないかもしれませんが、わたしにとっては一大事です。

場所が場所だけに、必ず行かれなくなる時が来ます。

何といっても暗い洞窟の中です。

地面もでこぼこしていて歩きづらいです。

変な段差もたくさんあるし。

車椅子で入ることは勿論できないし、今の私の状態でも入れるかどうか、ギリギリのラインでした。

きっとこれで最後になるから、しっかり洞窟の中を見てきたい。

もしかしたら中に入ってすぐに、前にも後ろにも進めない状態になるかもしれない。

入場料を払って中に入るのですが、入り口付近で引き返すことになるかもしれない。

それでも、入れるものなら入っておきたい、チャレンジしてみたいと言い、夫に連れて行ってもらいました。



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内部での写真撮影は禁止されているので、入り口で撮りました。

結果として40分ほどかかりましたが、よちよち歩きでなんとか一回りしてくることができました。

でも、相当おかしな歩き方をしてました。

入る前は「最後になるかもしれないもんね」と言うと「また、来れるよ」と言っていた夫も帰りには何も言いませんでした。

私の歩く姿は相当危なっかしかったんだと思います。

自分でも想像以上に怖かったですし。

でも御大師様(急に呼び方が変わりました)に、もう来られないことを伝え、しっかりお祈りもすることができて良かったです。

できれば目を閉じて、手を合わせたかったんですが、もうできません。

目を閉じてしまったら、立っていられないので、しっかりと目を開き御大師様と見つめ合いました。(笑)

暗くてお顔なんて見えないんですがね・・・

少しずつですが、日々できないことが増え、寂しい思いをする事がありますが、今日は特に寂しかったです。

やっぱり涙が出てしまったし。

洞窟の途中に不動明王像があって、その逸話が紹介されていました。

御大師様に挨拶ができて充分満足だったはずなのに、お願い事をしてしまいました。

ただただシンプルに、最後まで歩けますように・・・