いつかでは遅いこともある。
「いつか」について、昨日から考えています。
小林麻央さんのブログに書いてありました。
「いつか」について。
病気になって変わったことといえば、ただの日常が急にキラキラしだしたこと。
これは本当です。
自分の命が、身体がいつどうなるか分からないってことを、身をもって知ってしまったんですから。
いつかあそこに行きたいな、いつかあの人に会いたいな、そんなことを思うのなら、さっさとやっていった方がいい。
だってその「いつか」まで辿り着けるかわからないんだから。
歩けるうちに行っておきたいところが、いくつかあります。
その中のひとつが、横浜市栄区にある田谷の洞窟です。
田谷の洞窟という名前自体は、高校生の頃から知っていたんですが、実際に行ったことはありませんでした。
それが去年たまたま見たテレビで、洞窟内の様子を知り、いてもたってもいられなくなり、数日後に夫と行ってみました。
洞窟とは言ってもただの洞窟ではありません。
正式名称は定泉寺田谷山瑜伽洞と言い、真言密教の修業場です。
鎌倉時代から江戸時代にかけて、修行僧が掘ったものなのです。
総延長は約1キロ、今実際に公開されている部分は250メートルほどです。
内部の壁面にはたくさんの仏様が彫られており、所々にドーム型の天井がある空間もあります。
ドーム型の天井にはとてもきれいな梵字が彫られていたりします。
結構狭くて、足元もでこぼこしています。
内部は薄暗く、ろうそくの明かりで照らしながら進むのです。
1年前に行った時でも、私にはかなり危険な場所でした。
鎌倉時代の修行僧が掘ったノミの跡が残る壁を、手で伝って歩きました。
そしてその先で見た、壁に掘られた弘法大師の像、これがたまらなく神秘的だったのです。
外の音が一切聞こえない、深い深い洞窟の奥です。
目を閉じて手を合わせると、広い宇宙にたった1人で浮いているような錯覚を覚えます。
その宇宙のような静寂の中で、弘法大師と一対一で向き合っている感覚。
涙が出るような不思議な感じでした。
その感覚がまた味わいたくて、弘法大師にまた会いたくて、もう1回行こうと思っていました。
それが今日やっと叶えられました。
そんな大袈裟な事でもないかもしれませんが、わたしにとっては一大事です。
場所が場所だけに、必ず行かれなくなる時が来ます。
何といっても暗い洞窟の中です。
地面もでこぼこしていて歩きづらいです。
変な段差もたくさんあるし。
車椅子で入ることは勿論できないし、今の私の状態でも入れるかどうか、ギリギリのラインでした。
きっとこれで最後になるから、しっかり洞窟の中を見てきたい。
もしかしたら中に入ってすぐに、前にも後ろにも進めない状態になるかもしれない。
入場料を払って中に入るのですが、入り口付近で引き返すことになるかもしれない。
それでも、入れるものなら入っておきたい、チャレンジしてみたいと言い、夫に連れて行ってもらいました。
内部での写真撮影は禁止されているので、入り口で撮りました。
結果として40分ほどかかりましたが、よちよち歩きでなんとか一回りしてくることができました。
でも、相当おかしな歩き方をしてました。
入る前は「最後になるかもしれないもんね」と言うと「また、来れるよ」と言っていた夫も帰りには何も言いませんでした。
私の歩く姿は相当危なっかしかったんだと思います。
自分でも想像以上に怖かったですし。
でも御大師様(急に呼び方が変わりました)に、もう来られないことを伝え、しっかりお祈りもすることができて良かったです。
できれば目を閉じて、手を合わせたかったんですが、もうできません。
目を閉じてしまったら、立っていられないので、しっかりと目を開き御大師様と見つめ合いました。(笑)
暗くてお顔なんて見えないんですがね・・・
少しずつですが、日々できないことが増え、寂しい思いをする事がありますが、今日は特に寂しかったです。
やっぱり涙が出てしまったし。
洞窟の途中に不動明王像があって、その逸話が紹介されていました。
御大師様に挨拶ができて充分満足だったはずなのに、お願い事をしてしまいました。
ただただシンプルに、最後まで歩けますように・・・