予感
6月2日(日)に放送されたNHKスペシャル『彼女は安楽死を選んだ』、事前に放送があることは知っていたんですが、見逃しました。
その段階で嫌なというかなんというか、ひとつの予感がありました。
事前に重い神経難病の女性がスイスで安楽死をしたドキュメンタリーだと分かっていたからです。
私は診断を受けてから、沢山の同病の方が書いているブログを読みました。
今も読んでいます。
2年半くらい前にブログを通じてコメントのやりとりをしていた紺美さん、彼女のブログの更新が止まっていることを思い出しました。
それに以前、紺美さんのブログの中で『安楽死』とか『スイス』というワードが出てきていたことも覚えていました。
もしかして安楽死した女性って紺美さんなのかな・・・
気になりながらも6月2日の放送は見損ねてしましました。
放送の翌日、フェイスブックなどで番組を見た人の感想はいくつか読むことができました。
その女性が誰なのかはわからなかったけれど、とても重い内容だったことは簡単に想像がつきました。
再放送
気にはなっていたけれど私は当事者で、なんとなくだけど気持ちも想像できるから、特に見なくてもいいかなとそんなふうに考えていたんです。
そう思っていたのに二日後だったかな、再放送がありました。
夜中の12時半頃たまたまテレビをつけていて、今なにをやっているんだろうと見てみたわけです、番組表を。
そしたら丁度今から再放送が始まるのが分かって。
これは見ろってことだなと覚悟を決めてテレビの前に座りなおし、間もなく始まったNHKスペシャル。
彼女だと判った瞬間
彼女が映った時に、これはひょっとしたらひょっとするかもしれないと思いました。
ふたりのお姉さん達が映った時には、やっぱりそうかもしれないと。
ナレーションが彼女の発症した時の状況を伝えた時、心臓がどうにかなりそうなゾワーっという感覚の中で『紺美さんだったー』と声に出して言っていました。
その時点で紺美さんがもうこの世にいないことが分かって、自分にはこの放送を最後まで見る義務があるんだと、まるで戦うみたいにテレビと向き合いました。
この後何を見ることになるか分からないけれど、紺美さんがよくよく考えて選んだ安楽死で、それをテレビで放送されることを望んだのだからしっかり見ないと。
望んだのか了承したのかは私には分からないけれど。
でも安楽死についての議論が深まることを、きっと願っていたんじゃないかとは思います。
死は生を構成しているひとつの要素だと思う
死が無いと生が完成しないんじゃないかと思うのです。
死も含めて生なんだと。
そう思う時、死に方も含めて生なんだから、それを自分で決めたいと願った紺美さんは『こう生きる!』という意思がとても強いひとだったんだと私は思います。
放送のあとのツイッターでは様々な感想で溢れていました。
(紺美さんやったね、いろんな人があなたの死を見ていろんなことを考えたんだよ)
概ね理解できるといったものが多いように感じましたが、中には彼女の症状が軽く見えて安楽死を選ぶほどではないのではというものもありました。
番組の中でいずれ身体の自由がなくなると説明していたはずですが、目に見えるのはオシャレでパソコンも使えて座位も保てる彼女なので、それを見ると安楽死するほどなのかと思ってしまうのでしょう。
多くの人は明日の事なんてわからない、そういう価値観の中で生きています。
でも、私達のような進行性の神経難病患者は将来のことが決まっています。
紺美さんは自分らしくいられる間に安楽死をしたかったんだと私は思います。
今の症状が辛かったわけじゃないのです。
その辺が一般の人には伝わらなかったようで少し悔しさも感じましたが、まっ、しょうがない。
そういう病気です。
自分らしく生きること
私もこんな病気になっていなければ、自分から死を選ぶことは不自然なことで、人間がしていいことではないと思っただろうと思います。
しかも私はクリスチャンになったんだった。
キリスト教的にはどうなんでしょう。
確か明日のことまで思い悩むなとか、聖書に書いてあったと思いますが(ほかにもいろいろ)、私は進行性の神経難病患者には当てはまらないことが多いような気がします。
私は紺美さんの安楽死自体をどう受け止めたらいいのか、まだわからないのです。
ただ、今は紺美さんよかったねー、間に合ってよかったねー、しか思いつかないのです。
さっきも書きましたが、生と死は別物ではないと私は思っています。
死が無いと生ではない。
だから死ぬことは生きることだとも思うのです。
紺美さんはただ生きたのです。
死んだのではなくて生きたのだと。
とても残酷な病気になりながらもしっかり生きた、紺美さんらしく生きた。
私はそんなふうにしか思えません。
そうは思っても心に何かしらのダメージというか、影響はありました。動揺してます。
だから明日は通っている教会の牧師とお話ししてきます。
本物の宗教家の力を借りないと、ちょっと無理だなーと。
今回のドキュメンタリーにかかわった人の本です。
これは迷わず買いました。