全力疾走と午前4時

進行性の神経難病患者です。

価値とか生産性とか

昨日は世間の意見とはかなりズレたことを書きましたが、スターを付けてくださった方、ありがとうございました。

只今『価値がある』とかいう言葉に超敏感になっております。

障害者の問題などで『生産性』という言葉をよく聞きます。

働けなかったり、子どもを産めない人のことをそう言ったりするそうで。

私も少し前までは、その言葉が嫌いで納得できなくてとても嫌いな言葉でした。

利益など何も生み出さなくても、その人がそこにいるだけで価値がある・・・なんて言葉、今は聞きたくないんですよね。

確かにそうかもしれません。

存在するだけでいいのかも。

でも今は素直に『それだけでも価値があるんだ』とは思えないのです。

だって私が何かを生み出すことができないのは事実です。

それにバリバリ働いていて、人の役に立っている、いろんなものを生み出している、そんな人に対して『存在するだけで価値がある』って言い方するか?と思うのです。

私、相当卑屈になってますね。

そういうものがほぼ無い人に対して言ってるんじゃないかと。

聖書にも書いてあるんですよね。

わたしの目にあなたは値高く、尊い


イザヤ書 43章4節

このわたしの目にというのが私は辛いのです。

誰が見てもじゃなくて、神様の目には値高く見えるということでしょう。

私は誰の目にも値高く、に憧れます。

キリスト教が好きではない夫に「聖書のこの箇所どう思う?」なんてやってるんですよ。

夫にしてみれば「知るかよ」ということですが・・・

今度牧師先生にその話を聞いてみます。

そんなあなたにも価値がある・・・そういう言葉今は素直に聞けません。