全力疾走と午前4時

進行性の神経難病になり8年目くらいだったはず。先祖の戸籍を取ったり、気になる土地の歴史を調べています。

大変な状況にある人に、何も言えない

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自分が難病になって、大きく変わったことのひとつに「人を励ませなくなった」ことがあります。

人を励ます場面って日々あるけれど、特に重要と思われる場面で私は何も言えないのです。

自分の家族や近しい人達へのありふれた励ましや、応援の言葉、それらは問題なく口から出てきます。

でも、なかなか重たい状況にある人への励ましは、一切できません。



自分が病気になった後、何度かそういうことがありました。

がんの再発が判った人。

大切な人を亡くした人。

そんな人に対して、たくさんの人が何らかの言葉をかけていました。

でもね、私はできないのですよ。

今まさに大変な思いの真っただ中にいる人を前に、何にも言えないのです。

そのことに触れることができないのですよ。

知っているはずなのに、わらさとさんはなぜ何も触れないんだ?と思われたかもしれないけれど、触れられないものは触れられない。





今でもハッキリ覚えている脊髄小脳変性症の診断直後、いろいろと迷惑をかけてしまうので、すぐに職場に報告したんだった。

病気のことは、周囲の人の知るところになりました。

その時に、ある人達をのぞいて全員が様々な言葉で励ましてくれました。




スーパーのレジのパートです。

レジの仕事って、一人でやることもあれば二人制でやることもあるでしょ。

あれで誰かと二人になるのが苦痛で苦痛で。

だって、みんなその人なりの精一杯の言葉で励ましてくれるんだもの。

ある人は「医療は進歩してるから、諦めちゃダメだよ。」と。

別の人は「どこかに治せる医者が必ずいるはずだから、諦めずに探すんだよ。」とか。

あとはもはや意味わかんないんですけど、「自分にだけは負けちゃだめだよ。」などなど。

どちらかというと、心がざわつく励ましの方が多かったような気がします。




そんな人達の中に二人だけ、そのことに全く触れない人がいたのです。

本当に何にも聞いてこないし、励ましもしてこない。

でもいつも私を視線の中に入れてくれていて、私が困りそうな場面でスッとフォローしてくれる。

どこにいても私を見ていてくれて、「危なかったら私に摑まってください。」と言ってくれたっけ。

本当にありがたかったし、その二人といる時はまるで安全地帯にいるみたいでした。

この人達は私の心をざわつかせることをしないし言わないと、いつも安心できました。





この診断直後のことがあってから、私は人を励ますことが怖くなりました。

誰かが大変な状況であればあるほど、そのことに触れられないのです。

何も触れないことで「わらさとさんて冷たい人なんだな」と思われたっていいのです。

どっちにしろ嫌な思いをさせるなら、何もしないほうを選びます。

私の言葉で、その人の心をざわつかせたくないと思ってしまうのです。

言わなきゃ思いは伝わらないというのは、よーく分かっています。

でも心の中で全力で応援する、今の私にはこれしかできないのですよ。

あの子のこと、あの人のこと、それからあなたのことだって、全力で応援してるんです。