全力疾走と午前4時

進行性の神経難病になり8年目くらいだったはず。先祖の戸籍を取ったり、気になる土地の歴史を調べています。

診断から2年

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2年前の今日、大学病院で脊髄小脳変性症と診断されました。

2015年の12月14日に、近所の神経内科でMRIを撮り、脊髄小脳変性症だと言われたんだった。

翌日は仕事に行き、その次の日に夫と二人で大学病院を受診したんだった。

人生が変わってしまうことを覚悟しながら、車椅子率の高い神経内科の待合室で、名前が呼ばれるのを待つのはきつかった。




大学病院の神経内科は2時間以上待って、診察室に呼ばれたような。

これまでの身体の不調を話し、指鼻指検査をして愕然としたんだった。

人差し指で先生の人差し指に触れるってだけのことなんだけど、できない。

E.T.のポーズです、あれができない。

そのほかにもいろいろな動きの確認をされ、年内にできるだけの検査をやってしまいましょうと言われたんだった。

大体20分位の診察だったか。

今と比べたら、だいぶ長い。(笑)

そして年内にやってしまおうと言われた検査の日はクリスマス。

24日だったか25日だったかまでは覚えてない。

もうどっちでもいいか。(笑)




こうやって人生が変わってしまった、2015年の12月は終わったんだった。

どんなに嫌だと言っても変えられない運命みたいなものを、黙って受け入れるしかなくて・・・

でもラッキーだったのは、診断がついたのが12月だったこと。

1年が終わる頃だったことか。

2015年は忘れられない衝撃的な展開になったと同時に、終了!

診断ついて1カ月もしないうちに、新しい年の始まり。

本当だったら今年はとんでもない年になったと言うところなんだけど、とんでもない年は去年のこと。

今年はとんでもない年ではない!と屁理屈をこねて、前を向けたから私はラッキーだった、と思う。(笑)





あのときは1年後のことも全く想像できなくて、時間が経つということは、歩けない私にどんどん近付くということで。

だからほんの半年先の未来すら、想像したくなかったんだった。

あれから2年、こんなに楽しくて充実した生活をしているなんて予想できなかった。

あの日の私に教えてあげたいです。

未来を怖がるなと。

そしてよく頑張った!私。