全力疾走と午前4時

脊髄小脳変性症の患者ですが、できることはまだまだ沢山あるじゃないか!

私が歩いていた証しとなるもの

なんだかやることが多くて、グッタリではないけど疲れてしまって、ブログを書く元気は残ってないという毎日が続いています。

昨日から私の住む地域も、すっかり冬の寒さになりました。

昨日は夫婦で出掛けたんですが、気持ちいいほどの青空と陽射しに騙されて、適当な防寒対策をして後悔しました。

大判のストールは持って行った。

でも出がけに探した手袋は、いくら探しても片方しか見つからずに諦めることに。

結果とっても寒かった、特に日が当たらない場所は冷えました。

その行き先は、明治神宮

先日見たテレビで、明治神宮をやっていたからという単純な理由から。

明治神宮ができてもうすぐ100年経つそうで、それに伴う御社殿群の銅板屋根葺替え工事の最中だそうです。

その銅板を1枚3000円で奉納できることを知り、夫婦で出掛けてきました。

ただ3000円を出すだけでなく、銅板に(かなり大きい)自分の名前などを書くことができるので、夫は楽しみのようでした。

自分の書いた名前が次の葺替え工事まで、明治神宮の屋根に残るというのがいいらしい。

私も素敵だと思うしね。





でもでも明治神宮?あなたはキリスト教の神様を信じてるんじゃなかったの?と言われそうですが、いいんです。

教会の牧師先生はなんと言われるかわからないけど、今回の銅板奉納は私にとって宗教的な意味は1ミリもないので。

他人から見たら変かもしれないけど・・・




歩行が大変になって出掛けられる距離が制限されてきている今、自分で歩いて明治神宮に行くのは最後だろうという覚悟の遠出です。(電車だけど)

実際行ってみての感想としては、もう無理!

あれが最後です。

途中の電車も原宿駅も人が多くて危険危険、次はないでしょう。

病気になってからの2年間、行く先々で「ここに来るのはこれが最後」と言い聞かせてきました。

言い聞かせるという表現は変かな、納得してのことなので。

通常人は何かをする度、これが最後になるかもなんて思わないものですが、私の場合はしょっちゅう思います。

特に出掛ける時は、毎回最後になるかもという覚悟をしています。

生きていればまた来ることはできるだろうけど、自分の足で来ることはできないなという覚悟。




身体の自由がなくなるまでに、時間的な猶予があって私は本当にラッキーです。

これでお正月の度にテレビで流れる初詣の映像を見ながら、「この屋根に私達が奉納した銅板があるんだな」と懐かしむことができます。

明治神宮は必ずテレビに映るから、やったね!

想像するだけで未来が楽しみです。

そして私たちが銅板に書いた言葉はこれです。


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家族が健やかにすごせます様に


このブログを始めた頃にある方からコメントでいただいた「健やかに」を入れました。

あの時から私にとって大切な言葉になりました。