脊髄小脳変性症よ、お前はなんにも悪くない。

何度かこのブログにも書いた闘病トークちゃんねるのこと。

私は難病患者なので、人から見たら闘病中に見えるんだろうと思います。

闘病している人が対象だと言われれば、自分もその条件を満たしているような気がしてしまうし、実際のところ満たしてるんだと思う。

で、つい自分でも闘病という言葉を使ってしまうけれど、冷静に考えたら私、闘病してません・・・




同じように人から見たら闘病に見えるけれど、厳密にいうと闘病じゃないよな、という人と知り合いました。(闘病トークちゃんねるでね)

その人は、闘病している人から見たら怒られるかもしれないけど、闘病できることが羨ましいと言います。

羨ましいという言葉に、私もなんとなく共感してしまう。

病気になってから、何度も何度も戦って精神的にとても苦しい状況にある人は沢山いるんだと思います。

というか、病気って治療方法があれば、戦い続けなきゃいけないんだろうと思います。

それを羨ましいと思ってしまう、戦う必要のない私達。

そんなに羨ましけりゃ一遍戦ってみろよと言われれば、そんな勇気ありませんと口の中でゴニョゴニョ言うだけです。

情けなくて申し訳ないです。






闘病に治らない病気が含まれるのか気になったので調べてみた。

闘病とは病気を治そうという強い意志で療養につとめること、だそうです。

治そうという強い意志と言われると、そんなもんない!

だって治らないから。

治らない病気になっても治したいと思っている人もいるけれど、私は別にどっちでもいいと思っています。

この治す意志があるとかないとか、とっても難しい問題で、どっちでもいいなんて言ってしまうと「諦めてる」とか「逃げてる」とか言われそう。

治らないことを受け入れるのも、治りたいと願い続けるのも、私は同じだと思うんだよな。

だってどっちも病気とちゃんと向き合っているんだから。

病気というより、自分の人生と向き合うということ。

これは人に言われてどちらかの立場を選ぶんじゃなくて、自分で決めればいい。

私のたった一度の人生だから、自分でね。

だから私は治りたいと願うことはしません。

自分に与えられた人生を大切に全うしたいだけです。