全力疾走と午前4時

進行性の神経難病になり8年目くらいだったはず。先祖の戸籍を取ったり、気になる土地の歴史を調べています。

食事と体重減少の話

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ざっくり言いましょ。

食べる量が減ったんで、体重が減りました。

ご飯があまり作れない、でも家族はお腹が空く。

朝はなんとか、子ども達のお弁当を作るけど、朝ごはんらしいご飯はない我が家。

ドラマに出てくるような朝食風景とは程遠い我が家です。

娘はご飯に生玉子を落として、食べます。

それに冷蔵庫の中から、なにかしらの食べ物を探し出して食べます。

でも息子はそれをしません。

何も食べずに学校へ。

そして夜。

なんとかご飯を炊き、味噌汁を作る。

ここまでで疲れ果ててしまい、いったん休憩。

長い休憩だったりもします。

その後やっとの思いで一品作る。

もう一品作る元気はない。

でも家族はお腹が空いている。

ご飯とお味噌汁、それに一品、これで家族4人お腹いっぱいになるわけがない。

もう一品が作れない私は、自分だけ食べないという選択を。

家族は当然「お母さんは?」と聞くけれど、適当な事を言ってやり過ごします。

そんなことがしょっちゅうだから、家族は何とも思っていないみたいでした。



ここで気付いた人もいるかもしれませんが、わらさとさん何食べてるの?と。

よくお気付きで(笑)

たしたもの食べてないんです。

そしたら体重が減ってしまいまして。

夏よりも5キロ減ってしまいました、これ去年の12月の話です。

私は特になんとも思ってなかったんですが、12月の診察日に先生と食事の話をして、そういえば体重がへったな~と話したら、ヘルパーさん入ってもらえと言われてしまいました。

はぁ?です。

先生が言うには食事は大事。知ってるし。

でも体重なら余裕がたっぷりあるので、もっともっと減っても問題ないと思っていたし。

そういうことじゃないと言われ、昼間だけでもヘルパーさんに食事を作ってもらってそれを食べたらと。


ちょっと待ってください、それって随分本格的じゃないか。

本物の難病患者で障害者じゃないの。

そんなの気持ちがついていかないし、同居の家族がいる場合は本人の分しか食事は作ってもらえない。

家族にまともな朝ごはんも食べさせない、夜も充実しているとは言い難い料理しかできない私。

その私がヘルパーさんに作ってもらったご飯を食べるなんて。

家族はまともなもの食べてないのに・・・

実際、そんなことになったら、多分その料理食べないです。

食べずにとっておいて、お腹を空かせて帰ってくる子どもに食べさせたいです。

一回でもまともな食事をさせてあげたいと思ってしまいます。

そんなことを考えるだけで、とっても辛くて胸が痛みます。

お腹いっぱい食べさせてあげるだけのお金があっても、作ってやれないなんて。

嗚呼せつない。

こんな話を子どもにしても、いざとなったら自分たちで作るから大丈夫だよなんて言う。

いざではないかもしれないけどややいざだと思うんだけどな。


 


まだケアマネさんも決めてない私は、この話を聞かなかったことに。

一旦忘れて、体重増量に励みました。

年末とお正月に少しの努力をしただけで、去年の夏と同じ体重まで戻りました。

体重が戻り少し安心したので、食事のこと考えてみました。

自分の食事と家族の食事。

ここから半年のことを考えてみました。

もう少し丁寧に考えてみることで、一日に一品はきちんとしたものが作れるんじゃないか。

その一品はできるだけ大量に作ってみる。

その他にご飯と味噌汁を頑張って用意する。

味噌汁の具は、あまり悩まず少しでも多めに入れる。

組み合わせとか気にせず入れちゃおう。

後は今流行りの常備菜。

そんなしっかりしたものは作れないから、切っただけの野菜、これを一日に1種類でもいいから作ること。

まずそれだけでいいから、やってみようと思いました。

とにかく一品は大量に作る。



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今日も頑張りました。

予定通りのポテトサラダ。

明日は何を作ろうか。