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全力疾走と午前4時

脊髄小脳変性症の患者本人が書くブログです。神奈川在住の脊髄小脳変性症・多系統萎縮症患者及び家族のメーリングリストの窓口になっています。参加ご希望の方は当ブログのお問い合わせからご連絡ください。

見た目では分からない障害者に遭遇することは、これからもきっと無い

今朝の神奈川新聞に、こんな投書が載っていました。




高齢者には席を譲るべき




タイトルを読んだだけで、悲しくなってしまう。
内容を読んで、ますますその思いは強くなる。
本当に悲しくなるし、自分の置かれた状況がとても厳しいものだと実感します。


歩くのが危なっかしくなってきた最近は、ほぼ毎日この手の愚痴を夫に聞かせてしまっている。
非常に申し訳ないんだが、しょうがない。


電車の中での出来事。
投書の内容はこうだ。


眠っている人は周りが見えないので、仕方ないかもしれない。
が、スマホをいじっていても周りは見えるだろう。
目の前に高齢者がいるのに、誰もなにもしないのだ。

周りが見えているのに無視して、自分のことを優先するのは、悪いことだと僕は思う。
何かに集中していたとしても、息抜きに周りを見ることがあるだろう。
そこで気付いても譲らないのはどういうことだろう。

どうだろう。
書いたのは13歳の男の子。
この子が若いからではなく、大人でも同じ発想をする人は多いと思う。
むしろ多数派の意見だと思う。


そしてこうも書いてある。


優先席は、高齢者や妊婦、ハンディのある人たちが座るべき席なのだ。


この投稿者に、なんの悪意もないのは分かっているけれど、彼が言っているのは、見た目でハンディがあると判断できる人を指しているのです。
きっとそうでしょう。
見た目に分からないハンディのある人は、座るべきではないのです。
こんなことを書くと、心が荒んでいるんだなと思われるかもしれないけれど、荒んでいますよ。
外出すればするほど荒みます。



こんなことばかり夫に話しているので「おまえそんなこと考えてたら・・・かわいそうだな」と言われます。
見えない障害ゆえに悔しい思いをしていることについて、かわいそうだと言っているのではありません。
そんな卑屈なことばっかり言っていたら、生きづらいだろう。
かわいそうだな、という意味らしいです。


夫の言うとおり、卑屈になっています。
今の世の中は、高齢者や障害者に理解を示す人が多くなっています。
この投書もそういう事だと思います。


車椅子マークの駐車スペースに、どう見ても健康な人が車を停めたと責めたりすることもある。
電車やバスの優先席でも同じ。
みんなのトイレと言われる場所でも同じ。


世の中の多くの人は、外見では判断付かない障害者が存在することは知っていても、実際にどこにいるのか分からないんだと思います。
そういう人がいるのは知っているけど、見たことがないと。
そりゃそうでしょう、見た目には分からないんだから、これからも遭遇することはないはずです。


だから見た目に分からない障害者がいたら配慮したいと思いつつも、若くて健康そうな人が優先席に座っているとなんだかな~と思う。
当たり前の正義感が、実はとても矛盾していることに気付いていない。



多分こういうことだと思うんですよ。


見えない障害を持っている人は、優先席に座ればいい。
でも健康な人は、優先席を必要としている人に譲る優しさを持ちましょうよ。
多分こんなところだと思います。


でも今、心が荒んでいる私は言いたい!
健康なのに、高齢者や障害者に席を譲りたくない人は、そんな事言われてもなんとも思わないんじゃないのかな。
けれど見た目では分からない障害者は、責められた気持ちになりますよ。
とっても苦しい思いをする。


本来は障害者のことを考えたはずの正義感で、障害者を傷付けていることがあることを知ってほしいと思います。



何が正解かわかりません。
私はまだまだ新米です。
精神状態は、まだまだ安定していないのかもしれません。


今、杖を持って外出するようになり、安心できることは増えました。
けれどバスの優先席で、後から乗ってきた高齢者にジロジロ見られることはよくあります。
杖を持っていても、若いんだから立ってられるんじゃない?って視線かもしれません。
確かに、バスが揺れたら危ないであろう高齢者が目の前に立つと、辛いです。


ごめんなさい、ここで席から立ち上がることができないんです。
見た目若くて健康そうでも、どうすることもできない人間もいるんです。



解決策とか、無いんだろうけど、このブログを読んでいる人に知っておいてほしいことはこれだけです。
見えない障害を持つ人に、外で遭遇することはこれからも無いですよ。
でも確実にいます、あなたの隣にいるかもしれません。