難病と障害を持ちながら生きるためには発想を変える

母親としての務めが果たせない


昨日は仕事を頑張りました。
4時間の立ち仕事、転倒しないようこまめにバランスをとりながらの仕事です。




やっぱり疲れる・・・




仕事中に転倒なんて絶対しちゃいけないですから。
頑張ったけれど、今日やっと理解したことがあります。
仕事の翌日は本当に疲労が酷い。
今日もやっぱり起きられませんでした。



仕事に翌日は家事ができない、家族の弁当は作れない、諦めろ



   ↑
これが理解できたこと


起きたら8時半。
娘だけ家にいました。
また学校に行けませんでした。


遅刻でいいから行こうにも、弁当を持たせてやらねばいけません。
でも到底そんな体力はない私。


説明してなかったかもしれませんが、私の住む地域の中学校は給食がありません。
基本的に毎日家からお弁当を持参します。
そうです、ここは横浜市です。


ず~っと昔から、中学校での給食実現は横浜市の保護者たちの悲願だったようです。
ちなみに私は給食反対なんですがね。
理由はまたの機会に書くとして。


いくら弁当派の私でも、我が家の状態のようになるとやっぱり困ってしまいます。
遅刻でいいから学校へ行きなさいというなら、お昼ご飯を用意しないといけない。
私が作れないなら、コンビニでもスーパーでも寄ってご飯を調達して行けばいい。


それは分かっているんだけれど、なにせ起きれないのは私。
弁当作れないのは私。
我が家からコンビニは結構距離がある、と言っても15分歩けばある。
けれどコンビニは学校とは逆方向。


私が悪いという罪悪感があるから、コンビニに行って弁当買ってから学校行けとは言えない・・・
そんな事言うのは、なんだか無茶苦茶なような気がして。




難病と障害を認める



だから諦めた!受け入れた!



仕事の翌日は母親業ができません。
あらかじめ前夜のうちに、弁当代を渡しておく。
学校では当日朝注文すると、500円でお弁当が食べられるシステムがあるようなので。
朝ご飯代わりにパンを買っておく。
私が寝ていてもそれを食べて、500円玉持って学校へ行っておいで。



これでいいじゃん。
健康体ではない自分を認めよう。
できなくなったことを認めよう。
努力と根性があってもできないことはできない。
私の身体ではできないことがある、それを認める強さを持てばいいんだ。



いままで頑張ったら仕事の翌日も、母親らしいことができるんじゃないかと淡い期待を抱いて眠りについていたけれど、そんな奇跡は起きるわけない。


できないのだったら、代わりの方法を考えてなんとか実行していこう。
これでいいんじゃないのか。
今朝はそんなことを考えました。


今までと発想を変える

数日前に見たハートネットTVかな?
そこで視覚障害のある女性が言っていた言葉。



障害者にとっては自分で決めることが自立である



録画してたわけじゃないので正確ではないかもしれませんが。
この言葉に私はハッしました。
長~く健常者として生きてきた私にとって、自分のことは自分でやる、このことが当然すぎるほど当然のことでした。



その女性はこんなことも言っていました。


自分で決めたならそれは自分でやったという事(笑)




例えば私がこの先、自分の手を使って物を食べることができなくなったとき、人のてによって食べ物を口に入れる、
それは自分でやっているとは言えないと思っていました。
でも人の手を借りて食事をしたとしても、いつ食べるか、何を食べるか、どんなタイミングで口に運んでほしいか、自分で決めればそれは立派に自分でやったこと。


そういう事なんだと思います。
考え方をクルッと180度変えないと、障害を持ってからの暮らしは辛くて惨めなことだらけになりそうです。


私はまだまだほとんどのことを自分でできます。
人の手を借りることは少ないです。
でもこの母親としての仕事をきちんとはできない。
これは早いところ考え方を変えなければ、私も辛いし子ども達も辛い。
健康な母親と同じことはできないことを認めて受け入れ、どうやったら問題を解決できるか、別の方法を考えて実行する。



うん、これでいいでしょ!
弁当は作れなかったけど、別の方法を考えた。
だから今日も頑張った
えらいよ、私、自画自賛(笑)