全力疾走と午前4時

進行性の神経難病になり8年目くらいだったはず。先祖の戸籍を取ったり、気になる土地の歴史を調べています。

人生にはたいした意味なんてない!そう思うと気が楽になるから頑張れる

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うちの夫が同僚に言われたことが心に引っかかっています。
気にしてもしょうがないことなんだけど、気になってしまう。



「自分に起きることは良いことも悪いことも含め、全部は自分のしてきた結果だ。今の状態は自分がしてきたことのせい。」



う~ん、どうなんでしょ。
因みにこの同僚は私が難病になった事を知っています。
けど夫が何度説明しても、治らないということは理解できないみたいです。


夫はそれでもいいけど、同意しかねる部分があると言ったそうです。
「カミさんの病気はカミさんのしてきたことの結果だと言うのか?」
そんな事言われてそうだよ、お前の奥さん難病になっても当然のことをしてきたからだろ、とは言いませんよね。
実際、そういうことを言いたいんじゃなくてと言っていたそうです。

自分次第で未来は変わるから頑張れということを私に言いたかったみたいです。
これからの自分次第では良くなっていく、と言いたかったみたいです。



      理解不能!!


なんでその人に上から目線で励まされるのか、私には分からん。
その人は苦労人なんですが、どんな状況になっても全ては自己責任だと思い頑張ってきたと。
ますます分かりません。
というより、なんだか気の毒な人だなとさえ思ってしまう。



ちょっと話は逸れますが、なんで他人は病気が治るということにこだわるんでしょう。
「世界中の医者が治療法がないと言っても、お前だけは希望を持たないと奥さんがかわいそうだぞ」
夫はこんなことも言われたみたい。
手帳の事も同じで、「良くなっていったら、手帳を返すこともできるんだろ?」とかね。
だから治んねってばさ。


例えば足を切断した人にも言うのかな?
「足が生えてくるかもしれないから、希望を持て」とかね。
私も場合、小脳がどんどんスカスカになっていってるんだけど、どこかから脳みそが湧いて出てくるとかそういうこと?
本当に意味わからない。


まあいいです、他人がどう思おうが。
その人は自分に降りかかる様々な事を、マイナスに感じているみたいなので。
私は起きてしまったとか、なんでこうなったとか考えません。
この病気が判った時ですら、「なんで私だけが云々・・・」ということは一度も考えなかったし。
第一難病になるのは私だけじゃないし、人生には種類は違うけどいろんな困難があるはずなので。
私にはこの脊髄小脳変性症という難病が与えらえただけですから。


「なんでこんなことに」と考えるより、私に丁度いい病気をもらったと私は考えています。
私に丁度いい夫、丁度いい子ども、丁度いい仕事、丁度いいトラブル、丁度いい姑・・・(笑)
全てが私を成長させるのに、丁度いい成分が入っているはずです。(笑)


そう考えればいいものを、過去の自分がしてきたことが今の自分を創ってるなんて考えたら、不可抗力で病気や障がいを持った人は辛すぎます。


夫にそんなことを言った同僚は、きっとまだまだ人生経験が足りないんでしょう。
そう思えば腹も立たないかと思ったりしています。


でも究極は人生にはたいした意味なんてない!

本当ににっちもさっちも行かなくなったときには、この言葉を心の中で呟きます。
そうするとなぜか気が楽になるんですよ。