全力疾走と午前4時

脊髄小脳変性症の患者本人が書くブログです。

甘え切った私の目を覚ました息子の叫び

勤務時間が変わってから、心にも余裕ができました。

つい2週間位前はストレスでいっぱいでした。

自分の安全や他者への迷惑を考えると、自分の身体の状態を話す必要があると考えていたからです。

あとはこの状況ときちんと向き合わないと、というような気負いもあったんだと思います。

昨日あたりにふと考えると、その気負いや一緒にいる人にどんなことを言われるんだろうといった緊張感が無くなっていることに気付きました。

あんなに人に会うのが怖かったのに、それほど身構えなくなったし、病気のことを説明するのも面倒になっていました。

そんな状態の中、一家団欒の時間にちょっとしたやりとりがあって、「ハゲどうなってる?大きくなってる?」と夫に頭を見てもらおうとしました。

次の瞬間息子が大きな声で叫びました。


「俺っ、それすっごく嫌!!」


ショックで頭を殴られたみたいでした。



今まで私に優しい言葉ばかりかけてくれていた息子。
私の円形脱毛症を心配して、「今日、帰りに帽子買ってきてあげるよ。」なんて言ってくれていた息子。(気持ちだけもらって、帽子は自分で買いました)

「お母さんに介護が必要になったら、俺がするから心配しないで。」
「お母さんが喋れなくなっても、何が言いたいか俺は多分分かるはずだから心配しないで。」

そんな言葉をたくさんかけてくれていた息子に、私は甘え切っていたことに気付きました。
バカだよな~、40過ぎた母親が高校生の息子に甘えてるんだから。

息子だけでなく夫も娘も、あれからずっと私に優しく接してくれています。
妻として母として家族に何もしてあげられない状況を、今はしょうがないどうしようもないんだもんと甘え切っていました。

そのことに息子の一言で気付いた。

この2か月間は、本当に家族に申し訳ないことをしたと思っています。
息子の一言がこの時期でよかった。

あと数日早かったら、私も自分が甘えていたと自覚できなかったはずです。
心に余裕が出てきたと感じ始めた直後でよかった。




身体が自由が失われていく、こんな病気になって勿論自分も大変だけど家族も同じだけ大変なんだよな。

多分、家族は自分たちも現実を受け止めるのに精一杯だけど、一番辛いのは本人だと思ってくれているんだと思います。

でも違う。
自分が難病になるのも、妻が難病になるのも同じだけ辛いんだと思います。

自分が健康で夫が難病になる、想像しただけでも恐ろしい。
そんな思いを夫はしている。

私達はなった方と、その配偶者と立場は違うけれど、一緒に戦う同志です。
(だから戦うという表現が合っているかわからんけど)





子ども達も部分的に同志であっても、完全な同志にしてはならない。
私ができなくなったことを助けてくれる、この部分においては同志でいいかもしれない。


けれど親の身体が動かなくなっていく日々に立ち会うという、異常な経験をしている。
子どもにとってこんな酷こともないだろう。

こんな身体になっても私は親だ、子ども達の心を守らなくてはならない。
なんだか文章がやたらと固く、決意めいたものになってしまったが、そうだ決意だ!

決意するのだ!
子ども達を守らなくてはいけないはずだ。
それなのに、子どもに守ってもらって緊急事態だからしょうがないなんて言ってちゃいけない。

自分は母親なんだと、もう一度深く自覚しよう。
そうすれば、ああ不思議だ。
こんなに強い心が湧いてくる。
そうだ、私は難病になっても母親なんだ。